麗都公園 朝、7時過ぎホテルの周りを散歩に出かけた。入場料が安いことを確かめた夫は入ってみようと言った。夫は中国語で「ふたり!」と言ってさっさとお金を組み合わせて出した。スゴイ!中国人みたい!散歩してる人や太極拳してる人がまばらにいる。歩きながら夫とおしゃべりする。何しろ2ヶ月分の話がたまってる。けど結局はとりとめのない話だ。とりとめのない話をするのが楽しい。
ホテルに戻ると中庭の舞台で、派手な扇子を拡げた5人の女性が太極拳みたいな舞をやっていた。ガチョウも4,5羽、ひょこひょこ歩いていた。面白がって後を付けていたら、夫は、「も少しデカくなったら料理にして出すんかな?」と言った。
バイキングの朝食に、食べてみたかった粟のお粥や油条(揚げパン)があった。夫は山盛りの生野菜にドレッシングをたっぷりかけていた。「寮や工場の食堂にこの手のサラダが無いんや。食いたかったよな〜。」と頬張ってるのに、私には、「
免疫が無いから生野菜は食わないで火を通した物だけ食べろ!」と言う。ここは先輩の言葉に従おう。炒めた野菜にする。食後にコーヒーを飲んだが、味も香りも無い!コーヒー中毒の私だが、最後までここのホテルのコーヒーは好きになれなかった。
宋さん、陳さんをロビーで待ってる間に、夫は売店で水を買っていこうと言う。ところが値札を見た夫は不機嫌になって、「この水は高すぎる!店に寄ってもらおう!」と言った。すると宋さんはあわてて車のトランクを開けた。1gのペットボトルが段ボールにぎっしり入っていて出してくれた。ギョエ!
キャンプに行くのじゃあるまいにこんなに水積んでるの?とびっくりしたが、水道水や生水を飲めない中国では常識らしい。現にその3日の間にほとんど飲んでしまった。私は張り切ってペットの蓋を開けようとした。ガ〜ン!
ペットの口径が日本のサイズより大きい!日本から持ってきた自助具が使えない!
万里の長城 長城までは道路が整備され、以前より早く行けるようになったそうだ。
ケーブルカー乗り場の入り口で
車椅子マークを見つけた。下肢に障害のある人は運賃がタダになるらしい。実際ケーブルカーを降りたところに車椅子に乗ったお年寄りがいた。が、そこからずっとスロープがあるわけでなく、車椅子から降りて杖をつき、売店の広場まで階段を数段降り、そこに座るのが精一杯だった。
日本じゃこんな施設ではとても車椅子のマークなど堂々と掲げられない!
ケーブルカーに乗る前に陳さんがトイレに案内した。噂に聞く恐ろしい中国式トイレに出会えるのかとワクワクして行ったが、入り口で料金を払うことと、便器の前を覆う部分(スリッパでいうと甲の部分)が無いだけで、ドアもあったし水洗で清潔だった。洋式は無かったので、オババスタイルで用を足した。この場合、前の覆いが無いので、日本の便器よりやりやすかった。
あこがれの長城を登る。階段部分と坂の部分が混在している。きつく足首に弾力包帯を巻いてきたので、結構登れた。私より夫の方が先に「ここらで休もうよ。」と言う。階段に腰掛けていると「よっこらしょ!」とか「ヨイショ!」という日本語が聞こえて来た。声高にしゃべるオバチャンの関西弁も聞こえた。オバチャンはここでも元気だ。長城から眺める景色は素晴らしかった。天気にも恵まれた。中国に来た〜!という実感がした。頂上付近は混んでいた。
色んな人種が狭いところにまぜこぜにいた!休日を楽しむ軍服姿の兵士もいた。いい眺めだな〜と思った!
売店の広場で待ってた陳さんは「好きなだけいてもいいですよ。」と言ったくせにそろそろ帰ろうと迎えに来た。毎週天津からお客を連れて来るのが仕事で、長城なんて感動もクソもないらしい。帰りのケーブルカーは太ったフランス人男性2人と合い乗りだった。前席の彼らの合計体重は、後席の私たち3人分より絶対重いだろう。どうやってケーブルカーが釣り合いを保っていられるのか、不思議で仕方なかった。
レストランにて さて始まった!メニュー会議!宋さんと陳さんは代わる代わるメニューを見た。で、「栗と豚肉の煮物」「白い茸とかしわの煮物」「青菜を生姜とニンニクで塩味で炒めた物」「百合根とセロリと赤ピーマンの炒め物」とあっさりした味の物を選んでくれた。おかずを決めると次に主食なのだが、「ご飯かチャーハンか麺か餃子か?」と聞かれた。
餃子は主食なのだ!陳さんは丁寧に
餃子の大きさまで小姐に尋ねている!その時は、なんとまぁとあきれたものだが、大きさを聞かずに注文すると大変なことになるのを、4日後知った。一口大の水餃子にした。
料理が来るまでに、陳さんと宋さんに紙を渡し、フルネームを書いてもらった。そして軽い気持ちで「ピンイン(読み方)も書いて。」と言ったところからおかしくなった。二人とも頭を抱えて、ある文字の上でペンが動かない。で、食器を持ってきた小姐に紙を見せて尋ねた。彼女も紙を持って腕組みし、仲間の小姐に見せた。彼女が頭を振ると最初の小姐は紙を持って調理場や2階席まで行った!そしてようやく戻ってきて紙をテーブルに置きながら、書き直したピンインが正しいか自信が無いと言った。
「え?あんたらみんなホントに中国人?」と思わず言ってしまった。夫は我が意を得たりと「だから最初からピンインなんか覚える気になれん。ローマ字読みで四声なんか無視!」と言った。が、この言葉も6日後、もろくも崩れた。上海のレストランで四声(中国語のイントネーション)を無視した「米飯」の注文が通じず、文字で書いてやっとご飯が食べられた。
頤和園 夫は仕事のついでに、ここへは真冬に来ていた。が、ただ黙々と一回りしてきただけだという。今回は陳さんが説明してくれる。その説明を聞けば聞くほど、ここが西太后のエゴのかたまりの地だという思いを深くした。
風に綿毛のようなものが宙に浮かんで飛んでくる。あ、これが有名な北京名物の柳絮(りゅうじょ)と思い、美しい!と見とれていた。が現地の人はそうは思ってないらしい。汚らしいので柳の木から別種の木への植え替えが進んでいるそうだ。
ここへ来るまでの間にも、古い家並みを壊しているか、ビルを建てているか、やたらとほこりっぽい通りが続いた。馬が糞をタレながらブロックを運ぶ風景も、行きずりの私たちにはおもしろい光景だが、こちらに住む人達はそうでない。近代化まっしぐら、オリンピックまでにやらなくちゃとムキになってる。そんな中で、ここだけは息抜きしてるみたいに見えた。
おみやげやさんをのぞいた。中国物産展でよく見かける品がずらりと並んでいた。親戚からもらった中国土産と全く同じ品もあった。私達がショーケースを覗いているのに、女店員3人ほどが固まってずーっと大声でおしゃべりしていた。私たちがただ見てるだけの客と見抜いた上での事かい?
それから色鮮やかなペットボトル入りのジュースが、冷蔵庫に入れられずに、日なたに並べて売ってある!
中国人の女性ガイドが英語でアメリカ人を案内していた。彼女の英語はちゃんと耳に入ってくるのに、どうしてホテルの英語はわからなかったんだろう?
陳さんは、だいたい外見から日本人と韓国人と中国人の区別がつくと言ったが、私にはわからない。特に若い子はそばに寄って、言葉で判断しなきゃ。
日本人も韓国人も中国人も、みんなよくカメラを持っている。が、私達の持ってる
デジカメはまだ珍しいらしく、液晶を見ながら構えていると、近くの人がのぞきに来る!
北京2日めの夜 夕方になるとホテルのロビーでピアノの生演奏が始まった。どこかで聴いた曲なのになんか変!そうだ、
「この世の果てまで(♪Why
does the sun go on
shining?)」の音符の付点を全部落として弾いてる!だから流れる様な曲想でなく、行進曲みたいなのだ。わざとやってるにしちゃまじめな顔して弾いてるし、これは深い謎だった。
今夜は昨日の店を通り過ぎて、Holyday Innに近いレストランへ行った。どおりで西洋人のお客がほとんどだ。夫が北京ダックがこの店のお奨めみたいだからそれを食べたいと言った。私は早くも1品が決まってホッとする。後はまた宋さんと陳さんのメニュー会議に任せといた。ビールは地元の「燕京ビール」にした。これはさっぱりしてる。
隣のテーブルに太った西洋人のオバサン2人連れがいた。英語でどちらから?と尋ねると、ドイツから来て、もうアチコチ中国を旅行して歩いて、明日は発つのだと英語で返ってきた。箸が苦手らしくフォークでエビをつついていた。
この店には3種類の小姐がいた!その@普通に料理を運ぶ小姐。そのA英語を話す小姐。そのBお色気系の小姐。彼女は長い黒髪で、脇のスリットがももの付け根まで切れ上がった真っ赤なチャイナドレスを着込んでいる。宋さんは彼女が横に来たとき、顔をそむけてタバコの煙を吐き出すふりして、彼女のスリットをじっと観察していた。そして店から帰るとき、彼女が見送りに立っていると、彼女が自分より背が高いと知って、苦笑いしながら手で背比べの格好をして、さりげなくタッチして行った。ヤレヤレ。
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