長江渡る 朝8時、会社の運転手、孫さんの運転で出発。カーフェリー乗り場へ行く。ゲートには既に何台ものトラックやバンが並んでいた。孫さんはそれらの左側をすり抜けてゲートへ行き、窓を開けて職員に合図した。そしてそのまま前進してフェリーに乗った!夫は「顔パス!」と言った。長江の向こう岸は見えない。右にも左にも船が見えて、往来が盛んだ。時々ザブンと大波が来て車の窓までしぶきが飛んできた。車から降りていた人達が慌てていた。フェリーに乗ってる間中、孫さんは携帯でメイルを打っており、夫は寝ていた。
蘇州への道も、アチコチで工事をしてほこりっぽい。四つ角に信号は無くほとんどロータリーだった。屋根に舟形の飾りを付けている家が多い。孫さんにいわれを聞きたいけど、彼は中国語しか話さない。私の中国語程度では役に立たない。蘇州に近づいた頃、雷が鳴って大粒の雨が降ってきた。橋の上で野菜や洋服を売ってた人達があわてて店じまいして走って行った。
寒山時 土砂降りの中、寺門をくぐる。予備知識のない夫は「な〜んや、お寺か。」と言った。まぁ、私も「寒山と拾得」と「月落鳥啼」しか知らない。五十歩百歩だ。やっぱりお寺に来るときにはもう少し歴史を調べて来るのだった!混んでいてビショビショで、ひととおり回って出てきた。門前で天津栗と書いた大粒の栗を売っていたので夫が買った。そしたら、日本人だと見破られた。レースの布をいくつか抱えた若い女性が、日本語で「安いですから買って下さい。」と付いてきた。「いらない!」と言っても、「これが千円です。」とか「もっと安いのあります。」とか言いながら雨の中を歩きながら布を拡げて付いてくる。夫と私は交替で「不要!」を言いながら車まで急いだ。車の手前で彼女はようやくあきらめた。
断るのにものすご〜く疲れる。気を抜くと押し切られそうだ!

レストラン「小小得月楼」に入る。孫さんは小姐に私達が日本人だと伝えてから、席へ案内してもらったようだ。メニューは孫さんにまかせた。
注文するのがどんなに私達にはシンドイ事か、昨日一日で身に沁みていた。レストランで上手に注文できれば、中国旅行のベテランかもしれない。「銀魚(白魚)とじゅんさいのスープ」「青菜の炒め物」「碧螺(お茶の葉)大玉蝦」「松鼠桂魚」。特に「松鼠桂魚」はラジオの中国語講座に出てきて説明していた料理なので、実物にお目にかかれて嬉しかった。大皿に一匹ドーンと乗った魚を、小姐が目の前でナイフとフォークで切り分けてくれた。どれもおいしかったし味とボリュームのバランスも良かった。「ハォチー!」を連発して食べていると、孫さんは「ここは全国的に有名なのだ。」と得意そうに言った。じゃなくて書いた。孫さんとはほとんど筆談をした。ところが孫さんは達筆な崩し字を書くので、楷書で書き直してもらうこともしばしばあった。
レストランの前で車に乗り込もうとすると、駐車係のオバサンが何か言いに来た。
どうもこの手のオバサンがしゃべるのは怒っている風にしか聞こえない!孫さんが何か二言三言言ってお金を払ったら、行っていいという風に顎を突き出した。
拙政園 蘇州駅の前を通る頃には雨が上がった。ここでも結婚式の車の何台かを目にした。
拙政園は緑と咲き乱れる花が美しかった。それを背景にツーショットの写真を撮ろうと、自動シャッターを設定しポーズを取っていた。お茶目な中国人がデジカメの方に吸い寄せられるようにわざわざ立って寄ってきて、カメラをのぞき込んだ。お陰で写真の顔は吹き出した顔になった。「ホラこんな写真になってしもた。」と夫がその中国人にモニターを見せると、指を差して笑いながら行ってしまった。すごく年季の入った盆栽があった。盆栽もやっぱり中国が本家かな?ベゴニアなどの西洋式のガーデンやハンギングの通路もあった。
広い庭園がだんだん混んできた。西洋人の老人会みたいな団体が入ってきたところで退出した。隣に物産館の様な建物が、昔の建て方に似せて建設中だった。
シェラトングランド太平洋ホテル 蘇州から上海に向かって高速を走る。上海に近づくに連れて日本の企業の大きな看板が目立ってきた。ホテルの玄関で孫さんと別れる。彼はまた長江を渡って今日中に南通まで帰る。
5つ星ホテル。チェックインして部屋に向かった。カードキーを差し込むが開かない。おかしいな?廊下にいたメイドに言うと、カードを見て「ここは7階だ。」と言った。カードは「17××」だった。しまった!17階の部屋だ。言い訳するわけじゃないが、最初に泊まった燕翔飯店の「12××」は「1棟の2階の××号室」だったので、それを引きずっていたのだ。17階ではちゃんと開いた。(当然か?)
室内はとてもゆったりして家具やユーティリティのデザインも素敵だっ

た。東洋と西洋が調和していた。洗面台はすべてガラス製でバスタブには「Take
me home」と書いたタグをクビに付けたゴム製のアヒルまでいた!(もちろんタグの指示通りに自宅へ持ち帰った。)ところがところがである。スリッパが1足しかない。歯ブラシとバスロブも1つ。フロントに電話して英語で伝えた。北京でうまくいかなかったので、心配したが、メイドがすぐに持ってきてくれた。
メイドはちゃんとした英語をしゃべった!「お二人ですか?」と聞くので「そうです。」と答えると、謝って、タオルのセットも置いていこうとするので、それは既に置いてあったと言ったら、了解した。英語が通じたのでホッとした。夫が言うには、
一人いくらでなく、一部屋いくらが中国式なのだそうだ。つまり1人でも2人でも同一料金。じゃぁこのキングサイズのベッドは大きいから、3人で泊まったらどうなのかな?それから
日本ではシーズン・オンの料金設定が高くてオフは安いが、中国では逆だそうだ!だから私達、この労働節のお休みに泊まることが出来たのだ。
外灘 日が沈んでからタクシーで外灘へ出かけた。すっごい人出である。どっちを向いても人。人。人。そして光。ライトアップされた租界時代の建物と、現代のテレビ塔やレーザー光線。川を行き交う電飾の観光遊覧船。2008オリンピックのネオンのモニュメント。それらを飽かず眺めながらゆっくり北へ歩いた。川沿いの屋外レストランに入った。ガラス張りの舟形をした席に座った。また筆談での注文が始まった。4品と冷たい青島ビールを注文した。料理が運ばれてきて、小姐が「こちらの料理ですね?」と確認してくるが、注文したときの筆談メモを、先の小姐が持って行ってしまったので、分からない。注文するのが精一杯で、覚えてなんかいられない。夫が別の小姐を呼んで私達が注文した物を、もう一度メモに書いてくれるよう頼んだ。小姐は最初、変なお客だという顔をしたが、紙に書いた。夫が10元札のチップをあげた。小姐はとても喜んでスキップしながら帰っていった。
10元のチップが高いか安いか、相場が分からない!
後ろの夜景を入れて、セルフタイマーでツーショットの写真を撮ろうとした。隣にいた中国人カップルが大声で言った。多分「何やってんの、もっとくっつきなさいよ。ホラホラ寄って寄って!」という感じだった。ゲラゲラ笑ってる写真になった。
不思議だ!一つ一つの言葉は分からないのだが、その場にいたときは、確かに彼らの言ってる意味がはっきり聞こえて来たのだ!
裏通りにタクシーが3台並んで止まっていたので、のぞいたが運転手がいない。側で雑談していた輪の中から一人が抜け出てきた。ホテルの紙ばさみから抜いてきた、おしゃれなカード持っていたので「シェラトンタイピンヤン(太平洋)」と言いながら差し出した。運転手はカードをちらりと見て「ウェスティン!OK!」と言いながらタクシーのドアを開けた。会話が全く噛み合っていない!ガイドブックに「シェラトン」が「ウェスティン」と表記されていたのを前に見たことがあったので、多分大丈夫だろうとは思ったが、ホテルに着くまで十分スリルがあった。
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