宋慶齢陵公園 今日のスケジュールは私がたてた。ホテルで朝食をとりながら夫に説明した。夫は「ハイ、ハイ、どうぞ好きなとこへ行って。」とまじめに地図さえ見てない。これが後で慌てるハメになる。イタリア風レストランということだが、コーヒーのお代わりを注ぎにきたマネージャーらしい男性は、TVの探偵ポアロそっくりの顔と体型をしていた。久しぶりにおいしいコーヒーが飲めて3杯も飲んだ。
ホテルの玄関でベルボーイに、「宋夫人の公園へはこっちへ行けばいいね。」と英語で言うと「違う。」と言う。「遠いからタクシーに乗った方がいい。」と言う。部屋から持ってきた英語の周辺地図を見せて、「ここまでなら、歩いて10分以内でしょ?」と言うと、「いや、歩くと30分以上かかる。だからタクシーに乗った方がいい。」と言う。正確な縮尺の地図じゃないから、そうなのかな?と思い、タクシーに乗った。ベルボーイは運転手に行き先を告げてドアを閉めた。運転手はラジオの中国語の歌に会わせて陽気に歌っていた。そのうち、サビの部分が来て声を張り上げた。が、ガイドブックの正式な地図を見ていた私は、
それどころじゃない!これは明らかに違う方向だ!ホテルの南にあるはずなのに東に向かってる。夫も気付いて運転手を止めさせ、筆談した。状況がやっと飲み込めた。運転手は郊外の「大現園」へ行こうとしており、ベルボーイは「宋慶齢故居」だと勘違いし、私が行きたいのは「宋慶齢陵公園」だった。運転手はそれからは歌わず、すぐに目的地に着いた。やっぱりホテルから歩いてすぐだった。
公園はのどかだった。鳩に餌をやる人。太極拳をする人。満開のバラ園でスケッチをする人。思い思いに朝の空気を吸っていた。夫は「宋慶齢って一体だれや?」と、来るまでに一波乱あったのでブツブツ言った。彼女の像の前まで来ると「お、上品なバアサンやないか。」と言ったので、宋三姉妹の説明を、言っても無駄だと途中で止めた。

公園から歩いて虹橋路駅に向かった。ビラを配っている人がいたので受け取った。夫は「そんな物もらうなよ。」と言った。不動産のチラシだった。私が受け取ったのを見て、後ろから別のチラシ配りが追いかけてきて1枚くれた。さらにもう一人走ってきてまたくれた。

駅はまだ新しくてきれいだ。障害者用のエレベーターもあった。高架を走る電車に乗り込んだ。街の景色がよく見える。ここでも古い家を壊して大きな集合住宅が次々建てらてれていた。隣に小学生くらいの女の子と、祖母らしい人が座っていた。女の子はウォークマン聞きながら勉強していた。向かいはシルバーシートらしい。(写真右:女性の頭上の赤い文字)
「老弱病残孕専座」と書いてある。さて、
今座っている女性は「老・弱・病残・孕」のうちのどれに当てはまるのだろう?電車のアナウンスは中国語と英語であり、ホームの表示も見やすくて、間違えずに虹口足球場駅で降りることが出来た。ガイドブックは駅名が「虹口体育場駅」となっていたが、これはまちがいなかった。
魯迅故居 さてここからが問題なのだ。ガイドブックの地図に、
魯迅故居は載っているがそこへ行くまでの道路が省略してある。まず、夫が魯迅公園の西門で券を売っている服務員に、
「魯迅故居」と書いて「ここへ行きたいが公園を通り抜けた方が近道ではないのか?」と絵を付け足した。服務員はとんでもないという顔をして反対方向へ矢印を引っぱった。その地図を見ながら歩いて行ったが、夫はやっぱり変だぞと途中で町の人に紙を見せた。その人は今来た道を引き返してどうのこうのと説明した。「ほらね。」夫は威張って最初に目星をつけていた方角へ歩いた。途中で何人にも聞いた。「右・左・真っ直・曲がる」の4語をかろうじて聞き取り、指す方向に注意をして、ようやくたどり着いた。
このあたりの家の建て方は、日本で読んだ本からとても興味を持っていた。魯迅故居のある区画は観光客が来るせいか、手入れが行き届いていたが、他の区画はそうではなかった。そっちの方が本の描写に近かった。
入場券は日本語で購入できた。中国人ガイドが付いて説明してくれるのだが、テ−ブルとか薬とか目の前にある物の単語しか分からない。それらは言われなくても見れば分かる。どんなエピソードが隠れているのか、面白い部分が全然分からなかった。夫はまたもや「魯迅てだれや?」と言っている。「魯迅は教科書に載ってたはずや。」と言っておく。帰り道、
内山書店跡で記念撮影した。今は中国銀行になっていた。
私が虹口足球場駅で上海駅までの切符を二枚買った。もらったお釣りと切符を確かめると、2元の切符がほしいのに3元の切符だった。夫が切符売り場の横の扉を開けて説明した。すると、
女性の服務員は金切り声を上げながら、夫の持っていた切符を引ったくり、2元の切符二枚とコイン2枚を投げつけ、扉をバタンと閉めた!すごい迫力だった!
上海駅 さっきの切符騒動ですごく疲れてお腹が空いた。メニュー会議をするのもおっくうなので、駅前の庶民的な食堂に入った。壁に掛かってるメニューを指差して、2

種類のラーメンと大きさを確認して餃子を頼んだ。ビールはぬるいのしかないが、これもこれしかないとなればおいしい。元気のいい、愛想のいいオバサン一人と、あとは十代半ばの男女の従業員が数人の店だ。隣のテ−ブルで、若い子達が白いプラスチックの箱を開けて、お昼を食べ出した。丸顔の男の子が遅れて席に来て、お客の夫に向かって、邪魔だからもう少し椅子をどけろという仕草をした。「何て厚かましいヤツや!」と言いながらも夫は少しどいてやった。そしたら、今度は私達の方に向いていた壁の扇風機を、自分たちの方へ向けようとした。え〜っ!?というキツイ目でにらむと。少しはこっちにも風を残した。彼らの食べてるとこを撮ろうと、カメラを向けていたら、さっきの丸顔が立ち上がって麺を打ち始めた。面白いのでレンズを向け続けていると、
彼は更に調子に乗って長く長く、麺が宙に高く躍るくらいエスカレートして麺を打った。完全にカメラ目線だ!そして「撮れたか?」と聞くのでうなずくと、手にしていた麺を放り出して、カメラをのぞきに来た。彼はインスタントカメラだと思ったらしく、写真を欲しいという素振りをした。「電脳(パソコン)写真だ。」と言うと残念な顔をした。思わぬ所で、麺打ちのパフォーマンスを見せてもらった。

南京路 上海駅前からタクシーに乗り外灘で降りた。昨夜も人の波だったが昼間も人だらけ。地下道を上がろうとすると上からも人が降りてきていた。片側ずつ上りと下りになればいいのだが、そんなルールーも無く、隙間を見つけて前に進まなきゃいつまでたっても行けない。上がりきるまでいつ将棋倒しになるかハラハラしながら上った。南京歩行路も人の波。人に疲れて路地に入り、ブランドのコピーの店や中古品を売ってる店などをのぞいた。トイレを借りにデパートにも入ったが、どちらを向い
ても人、人、人。行列の世界に酸欠状態になり、「もう帰ろうよ。」と夫に言った。自分はやっぱり都会には向かない。
タクシー乗り場を見つけて、タクシーを待っていた。寄ってきて止まったタクシーに、私達の後ろにいた女性3人連れが飛び出して行ってタクシーに乗ろうとした。夫が日本語の大声で「こっちが先だ!」と言って、彼女らには次ぎに走って来るタクシーの方を指差した。夫は運転手にホテルの地図の表紙を見せて、「タイピンヤン!」と言った。私は後ろの座席のドアを開けて乗ろうとした。運転手が手を振って、大声で「乗るな!」と言ってる。そして何か怒鳴りながら早くドアを閉めろと手振りをしていた!訳が分からなかったが、とにかくドアを閉めるとタクシーは去った。次ぎに止まったタクシーにやっと乗せてもらい、ヨレヨレに疲れてホテルに帰った。
シェラトングランド太平洋ホテル 部屋に戻ると、ベッドメーキングは昨日と変えてあった。疲れた足を投げ出すのに丁度良い位置に長いクッションが置かれていた。ハウスキーピングのワゴンを引っぱったメイドが来て「ちゃんと2人分そろってましたか?」と確認に来た。「ありますよ。ありがとう。」と言うと、メイドはクマの小さな人形を二つ掴んで、「プレゼント」と言って置いていった。昨日もベッドの襟元に一つ置いてあったので、クマは三匹兄弟になった。なんか一日張りつめていたのがふんわり緩んだ。夫も私もとにかく一眠りしなきゃいられなかった。
目が覚めたら夕方だ。さて夕食はどうする?夫は以前この辺に泊まったことがあるので「近くへ食べに行こう!」とホテルを出てブラブラ歩き出した。が、いざ店に入ろうとすると値段がいくらくらいか、混んでいるのでは?とかどんな料理を出されるのか見当がつかない。入る勇気が無くて何軒も素通りした。夫がこの辺に輸入品の店「友宜商城」があるのを思い出して、そこへ行くことにした。
売ってる!売ってる!日本製の袋入りのラーメンやレトルト食品。刺身や出来合いのお寿司や天ぷらやきんぴらゴボウまで売っていた。日本で買うより少し高いが、それを買って行ってホテルで食べようということになった。カツカレー弁当・お寿司の助六(やはりなま魚は恐い)・レトルトみそ汁。プチトマトなどを買い、スーパーの袋を下げて5つ星のホテルに戻り、部屋で、中国最後のディナーを食べた!
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