上海虹橋空港 午前9時発の飛行機なので、朝食抜きで7時前にはホテルを出た。空港は朝早いのに、人が行き交っていた。夫とは8月の夏休みまで会えない。「ほんならね。」と言ってゲートに入った。夫は10時にここで会社の運転手と待ち合わせしている。上海の日本語が通じる病院へ、3回目の肝炎のワクチンの接種に行かなければならないからだ。
カウンター前の行列は日本人がほとんどだった。CA機のカウンターが開いてなくてMU機のカウンターで受け付けていた。私が並んでいた列の窓口はいつまで経っても開かないので、隣の列の最後尾に付いた。係員が関空の人達のようにてきぱきしていなくてなかなか列が進まなかった。
免税店で娘へのお土産を買った。小さな香水セットにした。暇つぶしに売店を見て回った。日本円で買い物が出来る。大きく「スナッフ」とカタカナを書いた、中国製のスナック菓子があった。わざと「ク」と「フ」を間違えたんだろうか?あとから、話のネタに買ってくればよかったと後悔した。
帰りの飛行機は、ど真ん中の席だったので外を見る楽しみも無く、左隣は空席で右隣は難しい顔して新聞を読んでるビジネスマンだったので、機内食が出たあとはひたすら寝ていた。
関空 たった9日間だったのに、関空に着いたとたん「日本だ!」と心の中で叫んだ。飛行機を降りるときに、ちょっと先に行かせてもらえて、ああ、もうつんのめる様にして前に出なくていいんだとホッとする。ただ税関でスポーツバックを開けさせられたのは少しショックだった。「何の目的で」とか「一人で行ったのですか?」とか聞かれたあとに、「だんなさんから預かってきた物はありませんか?」と何回も聞かれた。(前にシンガポールから帰ったときは、「申告する物はありません。」と一言言っただけで、そのまま通してくれたのに。)実はそのスポーツバックは夫からもらってきたものだった。。でも、係官は何もそんなことを質問しているんじゃないよね。バックは開けるとおみやげのパンダのクッキーの箱がいくつも顔を出した。係官は「いいですよ。」と言ってチャックを閉めた。
関空で時間があったので、荷物を宅配便で送ると、売店を回ってみた。息子にお土産を買ってなかったことに気付いて、慌てて買った。ナイフセットとライターが一緒になったもので、アウトドア好きの息子に役立ちそうだ。中国にもナイフセットはいくらでも売ってたのだが、安ければ不良品ではと思い、高ければふっかけられているのではないかと疑った。たこ焼きを買って、特急「はるか」に乗り込んだ。斜め後ろから中国語が聞こえてきた。あ〜中国語はしばらくいいや。
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何でも初めてのことは、強い印象になって残る。「驚き!」と「なぜ?」の連続だった。
また行きたい!私が見てきた中国はほんの一部だ。中国語をもっと勉強したい。コミニュケーションが言葉だけではないことを身をもって感じてきたばかりだが、言葉はやはり「手がかり」だ。せめて英語と同じくらい口から出るようにしたい。
中国のことをもっと知ってからまた行きたい!日本の身近な生活の中に、深く中国が染み込んでいるのに、気付いてなかった。
今、石川県が、小松―上海定期便の就航を懸案中だ。実現すれば、中国がますます近くなる。しかし、前途は多難だ。採算性の他にも、自衛隊と共用の小松空港に共産国の飛行機が乗り入れすることもネックの一つになっている。修学旅行の生徒にはビザ無しとなったが、私が行くにはビザの申請が必要だ。
近くて遠く、遠くて身近な、不思議な中国にあこがれている。
2002 SUMMER
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