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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ★ ★ ★ ★ ★ 1st 今年一番、朝一番の電話は、従兄からだった。私がただ習慣で「あけましておめでとうございます。」と言ってしまった後、伯父が今朝亡くなったという知らせを聞いた。手製の注連飾りを作る予定で、夏の内に蔓でリースを作って用意していた。千両やウラジロの葉で仕上げるのが、昨日できなかった。今朝一番に仕上げて玄関に吊そうと思っていたが、この知らせを聞いて止めた。というか止める理由にした。母、夫、娘と共に内輪の通夜に出かける。伯父はふっくらした穏やかな顔をして横たわっていた。女性のお坊さんが来て枕お経をあげた。伯父は6人兄弟の真ん中だったが、みんなを見送って最後に逝った。「最後に残る者は淋しい。」と常々言っていた。帰路は吹雪だった。今夜車で帰省する息子が心配になる。
2nd 未明3時に息子が「疲れた〜。」と帰宅した。福井からは道路に融雪装置があるが、滋賀県を通り抜けるのが危なくて時間がかかったそうだ。夜が明けて玄関に出ると、軒下にどっさり干物が入った網が下がっていた。息子のお土産だ。娘は今日からバイトが始まり、私の弁当作りも始まった。夜、夫と通夜から帰宅すると、子供達はまだ夕飯を食べていなかった。一緒に食べようとしたが、息子は親戚の家で夕飯をごちそうになってきたばかりだから後で食べると言った。お腹が空いていた夫はものすごい勢いで食べ出した。息子の分の牡蠣フライまで…。
3rd 伯父のお葬式は、仕事がお休みの人が多いためか、普通より参列者が多かった。母は焼き場まで付いて行き、私と夫は中陰のお重をもらって帰宅した。近所の人から香典を預かったので、香典返しを持って行く。夫がしみじみ言った。「わしらが結婚した頃、元気で現役やった人らが、次々死んでくな〜。」
夕飯を食べていると、Mさんがまた殻付き牡蠣を持ってきた。昨夜息子の牡蠣フライまで食べてしまい、後ろめたい夫は、クラス会に行っている息子へ「即、牡蠣を写メールしろ!」と娘に命令した。夜中、台所のコンロの前で久しぶりにそろった家族が、焼き牡蠣しながら立ち食いする。4th 今夜こそみんな一緒に夕飯の食卓を囲もう。朝から料理にかかる。歯の悪い母のため大根の炊いたのや揚げだし豆腐を作る。お正月用にとよけておいた酢蛸や丸芋にやっと出番が来た。しかしメインは息子が釣って冷凍して持ってきた大きな黒鯛だ。息子は自分でさばいて料理した。丁寧にアクをすくったり、生姜を多めに渡すと、臭み消しで一緒に煮込んだうえに、仕上げに針生姜を散らしてあった。日本料理屋さんでバイトをした経験が無駄ではなかったようだ。夜中近く息子は下宿に向けて発つ。
5th 娘のバイトが夕方からなので、出かけることにする。まだ町内の神社にお参りしてないので、まずお参りに行く。参道の新雪に夫、娘、私の足跡が付いた。書店とショッピングセンター2軒をはしごした。昼食は石焼きビビンバが食べたくて「双 喜喜 亭(そうきてい)」へ行ったが、メニューに無かった!代わりに中華セットを食べた。帰国してもうすぐ一年。夫の中国菜アレルギーもようやく治ったらしく、「おいしい〜」と汁まで全部飲んでいた。
夫が町内東組の初会に行ってる間に、下宿へ帰る娘を駅まで送って行く。帰宅した夫に「さてまた二人の生活の始まりだよ。」と言うと、「良い意味?悪い意味?」と聞いてきた。さぁ、どっちでしょうかね?6th ゴミ出しや洗濯を済ませ、やっとパソコンの前に座ることができた!ここ数日夫や子供達が入れ替わりで使っていた。彼らは手軽にUSBに繋ぐメモリーで、ノートパソコンとデスクパソコンを行ったり来たりしていたが、私はCDに保存していて、ソフトの関係でデスクパソコンからしか読み込めないので、彼らのノートパソコンが空いていても使えなかった。1時間くらい座っていただろうか?立ち上がった拍子に右膝に違和感を覚えた。カクンカクンと音がして安定性が無く、つたい歩きしてトイレへ行った。娘の衣装を取りに行くのも町内の総会に行くのも止めた。等尺運動する。
7th 朝、近所の班長さんが町内会費と組費を集めに来た。ついでに言われた。伯父が亡くなったことをなんで知らせてくれなかったのかと。「あ〜らそうやったんねぇ。」と超エエカゲンな返事をしておく。私に言われても、これ微妙な問題なんだ。母を差し置いてしゃしゃり出て言えば母はへそを曲げる。親戚達は文句があるときは、母より私に言いやすい。
右膝に腫れがあるが、昨日よりマシだ。英会話・郵便局・貸衣装屋さん・美容院・病院・薬局・スーパーへと出歩く。
8th 娘が駅まで迎えに来て欲しいと言った。「いいよ、ただし…。」と交換条件を付けて玄関の植木鉢の移動やポリタンクの整理をやってもらう。灯油も入れてもらおうとしたが、バイトへ逃げて行ってしまった後だった。
夕方、叔母が作りすぎたから食べてくれないかと、ケーキを丸ごと一つ持ってきた。21pΦの大きなヤツだったので、「こんなにたくさんは遠慮するよ、半分で丁度いいから。」と言うと、「お願い食べて4つも作ったんやから。」と叔母は言い、「ちょっと飾り付けのセンスが無いやろ?」と聞いたので、うかっり頷いてしまった(^^ゞ9th 娘の成人式。お向かいで親戚の奥さんは美容師さん。朝、娘を自分の美容院へ連れて行き、髪のときつけ、化粧、着付けをしてくれた。出来上がったと電話があったので、夫と二人でルンルン迎えに行った。ところが、車中で娘は「顔がオバサン化粧でいやだ。」と泣き始めた。夫と私はびっくりした。夫は例によって「そんなら成人式なんか行くな!」と怒鳴った。私も娘に「今日は成人の日やろ?そう言うヤンチャこくのはネンネやろ?泣いておったらオバサンがオカチメンコになるやろが!」と説教しつつも、段々腹が立ってきた。親戚回りは後回しにして一旦家に帰り、娘をひとりにして冷めるのを待つ。夫は「あの泣き顔を写真に撮ったらすごい記念になるんやけどなぁ。」と悔し紛れに言った。
一時間後、娘は立ち直って玄関を出た。出たら向かいのご夫婦が居た!娘は笑顔で一緒に夫婦と写真を撮った。たまたま近所に来ていた、出初め式の消防自動車とも記念撮影した。親戚をまわってから、式場へ無事送り届けた。ヤレヤレ。10th 夫は仕事。娘も朝からバイトなので、雪道を送っていく。昨日はチラチラだった雪が今日は本格的に降った。成人式が昨日で良かった。明日、下宿まで娘を送っていくことになったので、支部報の作成に本腰を入れて、おおかた仕上げた。買い物に行けなかったので、娘を迎えに行ったついでに、夕飯用の出来合のおかずを、半額のシールの付いたのばかり買ってきた。昨夜は娘は同窓会に出かけてしまったので、昨日の残りの赤飯を暖めて、今夜成人式ミニパーティ。
11th まず衣紋掛けに広げておいた振り袖などを、娘に畳むことを教える。いくら貸衣装でも畳むことは覚えておかなくては。衣装を返しに行き、買い物してから娘の下宿に向かう。お腹が空いたのでお蕎麦やさん「けんぞう」へ行く。娘は店の名前を「よしべえ」と間違えて覚えていた。トイレがしたかったが、和式トイレしか無いらしい。娘との会話を聞いていたからか、私の歩き方を見て分かったのか、従業員がうちかたの洋式トイレに案内してくれた。右膝が腫れていたのでとても助かった!辛み大根の効いた「けんぞう蕎麦」おいしかった!
12th リウマチ友の会役員会。出がけに電話あり。焦っているのでぞんざいな返事になる。留守録に任せとけば良かったと思う。冬で出席者が少ないだろうから、支部報原紙のコピーは5部くらいでいいかと思っていたが、念のため支部長さんに確かめると11名だった!年始めで差し入れもあり、賑やかだった。読み合わせながら校正をする。やはり私が全然気づかないミスが何ヶ所も有った。解散の時、「季節柄、発送作業は私一人でやってしまった方が楽だ。」と提案する人がいた。…ちょっと違うんじゃないかな?友の会は効率や利潤を求める団体ではない。作業を共にやることで、見えてくるものがあると思うのだが。とりあえず、大雪になったらお願いする事に。
13th 夫は大阪出張。帰宅してから気づいた。大阪で本田宗一郎と井深大の展示会をやってることを思い出し、言ってあげれば良かったと後悔。ホントは私自身が見に行きたかったのだが。NTTの「ふれあい番号案内」を初めて利用してみた。超〜便利!近所にタンクローリーが停車していたので「ついでにうちのタンクにも灯油を入れて。」と頼む。兄ちゃんは「ついでに水抜き剤入れときますか?」と聞いた。水抜き剤という物がどんな物かはよく分からなかったが、寒くなるとボイラーが点火しないことがあるので、入れてもらった。
あんなに腫れていた右膝が元に戻った!14th 支部報の第三種通巻番号は予定したのより一週間遅くなってしまった。どうやら他の団体も新年号の発行が相次いでいる様だ。イマイチ、この通巻番号を要領よくゲットできない。原紙の手直しをやっと終え、印刷しようとしたらB5の上質用紙を買い忘れたのに気づいた。夕方慌てて買いに行く。英会話の帰りに買おうと思ってたのに、芦城センターで車に乗るときまでは覚えていたのに…どうも要領が悪い。
15th 娘が駅まで迎えに来てと電話してきた。夫が迎えに行き、娘が家の前で車から降りるとき、携帯をドアに挟んで壊してしまった。夫は怒りを、バイト先へ行ってしまった娘ではなく私にぶつける。
中国語の新年会。空いてる席に座ろうとすると、Kさんが「女性ばっかり固まらないで、せっかくだから男女混合で座ろう。」と言った。ん?合コンじゃあるまいにと思ったが、素直に交互に座ることになった。Kさんは店(「勝っちゃん」)のマスターを呼んできて話をするように頼んだ。マスターは58歳から北京語学学校へ短期留学を始め、中国人から中国人だと思われるほどになったそうだ。私は中国人ウェイトレスに、中国語で話しかけたが通じず、私の中国語を再度張先生が言い直して通訳したのには、ガックリした。その後、めげずに再び話しかけ、彼女が日本人と離婚して、子供一人を桂林に預けてあることが分かる。張先生が発音した「勝っちゃん」にみんなでツッコミを入れる。Hさんが張り切って、3泊4日の上海旅行に行こうと言い出し、香港のへんてこなカレンダーまで飛び出してきて、賑やかだった。16th 朝、左義長に行くのをすっかり忘れていた。昔のように15日と決まっていた方が良かったな。古いお札の類はもう一年寝かせておくしかない。
テレビで「射 周鳥(しゃちょう)英雄伝」をやっていた!以前ラジオの中国語講座で、金庸の原作がテキストに出ていた。チャンネルを変えようとする夫に「絶対面白いから!」と太鼓判を押して、一緒に見た。ホントは色々やらなきゃならないことがあったけど、後回しにして。で、夕飯の支度が遅くなり、娘が帰宅してもまだご飯が炊きあがっていなかった。(^_^;)17th 午前中ずっとパソコン作業。左肘の旋回が悪くなり、左手で打つキーがどうしてもミスになり、時間がかかるようになった。横の箱に左肘を乗せ、高く支持させる姿勢で打っている。
今日から張先生の中国語教室、最後の10回シリーズが始まる。財布を見たら、会費を払うお札が1枚も無い!家に取りに帰り、家の財布を開いたが、こっちも3千円しかない。娘にもらった成人祝いの封筒から1万円拝借する(^^ゞ Aさんが買ったばかりのcasioの英中日電子辞書を見せてくれた。ペン入力なので検索が早い上に、お値段なんと2万9千円。わ〜くやしい、後ほど性能良いのが安くなる!18th 今日はスーパーの会員特待日。5時までのコーヒーの安売りを狙っていたのに、畑や工務店へ行っていたら5時半になってしまった。特に大根が大きくなりすぎていて、持って帰るのに一苦労で、外流しに下ろしたとたん、パリパリとひびが入ってはじけた。最近日が長くなってきて、時間の感覚がずれている。人だかりがあるので覗いてみたら、甘納豆の詰め放題だった。リウマチの手では断然不利!パス!
19th 午前中セーター類を手洗いした。いつもならしばらくで手の油っ気が戻ってくるのに、夕方になっても手がするする滑り、食器を持つのも危うい。ダスキンさんに渡す小銭がなかなかつかめない。お風呂に入っても、石鹸で洗うのをやめといた。年取って干からびてきたんかな?いやそうじゃない、マーガリンが切れていて最近トーストにジャムだけ塗ってるからだと、変な理由を見つけだしてくる。
20th 支部報「曲水」発送作業。7名参加。昼食は近所の食堂から店屋物。作業が終わりかけた頃、私はおしるこの準備にかかった。2月の「おしゃべり会」での予行演習。が、小豆の缶詰を開けようとしたが、古い方の缶切りを持って行ったので、缶が空けられない。隣の脳卒中の会の人に頼もうかと廊下に出ると、若いお母さん達の集まりの人がいたので、頼んで開けてもらった。450c缶で8人分くらいとれそうだ。ころころ餅は一袋22個入ってる。さぁて、おしゃべり会には、何人分用意すればいいかな?
21st 早朝5時過ぎ、物音と何か動く気配がして目が覚めた。夫をつついて起こしていると「にゃぁ〜。」と隣の部屋から聞こえた。夫は起きて玄関の戸を開けに行った。私も起きたが猫が落とし物して行かなかったかどうか確かめるのは、この寒さの中、やってられない。寝床に戻った。昨晩夫が帰宅した時、玄関の戸が少し開いていた。夫は私をだらしないヤツだという目で見ていた。「ちゃんと閉めたよ。」と私が言っても、夫は幽霊のマネをして「仏壇の戸が開いてないか見て来いや。」と言ったきりだった。
明るくなってから見ると、玄関には猫の足跡が、点々と付いていた。昨晩気づいていれば、無賃宿泊なんかさせなかったのに。22nd 中国語教室。北方の餃子と南方のお餅についての説明があった。で、なんかその辺から脱線して「ニンハオ」へこれからみんなで小龍包を食べに行こう!という話にまとまった。で、都合の悪いMさんを除く5人で加賀市まで出かけた。小龍包・麻婆豆腐・酢豚・松仔玉米・上海焼きそばを注文する。主人夫婦は長春出身の中国人なので、中国語実践とばかりみんなで中国語でトライしたが、女将さんの日本語が流暢で、やっぱり日本語に流されてしまった。
23rd JA婦人部の新年会。隣の隣にYさんちの奥さんが座ったので、「観光ボランティアで聞いたんですが、お宅に金子正武ゆかりの品があるそうですが…」と話しかけると、彼女はとても観光ボランティアに興味を持っていそうだった。ただ、春と秋の週末に出なければならないのが無理らしい。30年近く前、息子さんが怪我した時、お姑さんが、爺ちゃん(姑の夫の父親:正武の一番弟子)の薬をつけろと言って、怪しげな薬を出してきたとか。恒例の「宝引き」では、さっきまで足が痛い、手が痛いと言っていた人たちが、みんな必死でロープをめがけて手を伸ばすのには呆れてしまった。別に早くつかんだからといって「あたり」とは限らないのに。
夕食は「ラジャリーネ」で外食。娘はオムレツがとろ〜り割れるオムライス。私はあっさりしたスープオムライス。夫はトマトソースのスパゲッティ。しかしお皿を交換しながら食べた。ママさんらしき人が笑って見ていたので「行儀が悪くてすみません。」と言うと「うちもそうやるんですよ。」と答えた。家庭的な雰囲気のお店だった。24th 商工振興課「ものづくり工房」宛に出した「曲水」が、「受け取り拒否」とかで戻って来たそうだ。今まで数回郵送してきて、何の問題も無かったのにどうしたんだろう?振興課のYさんに電話した。Yさんも「何でやろ?」と言う。とりあえず口頭で「おしゃべり会」の事を伝える。Yさんは当日出られないので、アンケート用紙だけ家まで持ってきてもらった。
首がちぎれそうに痛い!25th 出勤前の夫に、首へソフトカラーをきっちり巻き付けてもらう。痛くない角度を探してしばらく横になった。「夢十夜」に出てきそうな奇妙な夢を見た。起きると寝汗をかいていたが、首のあのキリキリする痛みが無くなっていた(^_^)v
北陸電力の懸賞で2/14のコンサートのチケット2枚が送られてきた。昨日首が痛くて中国語を休んだから、またコンサートで休むの勿体なくなった。この調子だと月曜は夫も早く帰って来れそうにない。そうだ、あの人にあげよう!
26th まだ少し首の痛みはあるが昨日寝ていた分、充電された気分。あちこち出歩く。病院でもうひとつソフトカラーを買う。ソフトカラーは実費である。何でだろう?古い方のカラーを洗って干した。これを切って前開きにし、自分で簡単に付けられるようにするつもりだ。夕方には首がずいぶん楽なり、カラーを外してぬいぐるみの首へ巻き付けてやった。27th 髪をカットに行く。珍しく夫が早く帰宅したが、私の髪型に気づかない。やっぱりね。夫が帰宅して真っ先に見るのは食卓の上で、今夜のおかずは何かと気にしている。あいにく今夜はしゃぶしゃぶで、水と昆布の入った電気鍋しか乗ってない。大急ぎで野菜を切りながら「髪切ったのに気ぃつかん?」と言った。夫は慌てて「何か後ろ姿ちょっと違うと思ったけど。」と言いながら、すぐに気づかなかったことを埋め合わせるみたいに手伝いを始めた。
28th 金沢の女性センターへ「コミュニケーション表現能力セミナー」を受けに行く。誘ってくれて一緒に行ったKさんとは隣同士で座らないでおこうと思っていたが、何のことはない。座席表があって場所が指定されていた。学校みたいに「起立、礼…」から始まった。講師の後藤亮子先生(産業能率大学)は小柄で、大きくはないが良く通る声で講義を始めた。講義と実技が交互に組まれ、パートナーも次々変えていくので昼食を挟んでの6時間があっという間に過ぎた。さっそく習ってきた「傾聴の技術」を少し夫に試してみた。夫の物言いがいつもと違って聞こえた。ところで、セミナーで配られた資料として「医師と患者の会話」を2パターンを作ってあった。身近で思い当たる設定だ!会話の行き着く先が、全く異なる診断と治療であったのは、笑ってすまない恐怖を感じる。
29th セミナー二日目。「聴くに徹する!」ということが如何に難しいか、自分がどれだけ「自分」に囚われているかを思い知らされる。頭をぶん殴られた感じだ。アメリカから入ってきた手法だというのに、むしろ東洋的な「無我の境地」を言われているみたいだ。同時に「聴く」ことが如何にエネルギーを必要とするかも実感する。「聴く」ばかりをやっていたら、私の見かけ倒しの元気じゃもたいないな。その一方で、真に「聴く」ことが出来れば、「海峡を渡るバイオリン」みたいな聞き書きの名作が書けるかも…と思う。
30th 朝、母に電話で午後からの「うらら」での漫才公演の確認をする。母が私達夫婦にもチケットを買ってくれていたのだ。が、そのすぐ後、娘から「しんどい…気持ち悪い…」とただならぬ声で電話があった。夫と慌てて娘の下宿へ行く。娘は吐き下していた。5分をおかずにトイレに通っていた。大学病院へ電話して「そちらの学生なので診てくれませんか?」と頼んだ。吐いてもいいようにバケツを持たせ車で病院の救急部へ行った。何と待合室には患者がいっぱいた!流行の胃腸に来る菌にやられたそうで、娘にとっては初体験の点滴を受けることになった。その間に夫を近くの駅まで送った。夫はその足で「うらら」へ行き、最後の3分だけ漫才を観ることが出来た。私は娘を下宿に連れ帰り、ごちゃごちゃの娘の部屋に泊まった。いざという時のために薬を1日分持ち歩いているのが、今日役立った。31st 朝起きると一面真っ白。娘の吐き下しは治まり、熱も下がった。休ませたいが、試験があるから1限だけ行くというので送る。ついでに病院への支払いをするため、駐車場から雪の中を歩いていると、後ろから来た人が「どうぞ。」と言って傘をさしかけてくれた。私より背の低い60代くらいの女性で、私に合わせて傘を高く持ち上げてくれるのが、気の毒でもありうれしかった。昼食に、あり合わせのもので作った茶碗蒸しを、娘は「おいしい」と言って食べた。午後になっても熱は上がってこなかった。洗濯や買い出しと何食分かにはなるだろう煮物など作って置いて来る。で、帰宅すると昨日慌てて出かけたから、流しは洗い物の山。いみじくも、昔近所のオバサンが「女にゃ娑婆のどこ行っても洗い物は付いてくるもんよ!」と言った言葉が思い出される。