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白いたい焼き
☆ ☆ ☆ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ★ 1st 英会話で、昨日石川県議会で小中学生に携帯電話を持たせないという条例が可決された事が話題になった。Gordonは日頃から、携帯に浸かり込んでる高校生らの態度を批判していたし、自分の携帯を持つのも随分遅かった。自分が小さい頃はそんなもの無くても良かったからいいんじゃないの?という意見だった。私はどうもこの条例ってヤツがわからない。罰則が無いものもあるし、各県や市町村に色々あって、フツーに暮らしてる分には知らん顔してても、何かあったとき、条例に詳しい人がその条文を持ち出してきて、「こういう条例があるんだからそれに従うべきだ」と理屈をつける道具みたいな気がする。また、ナイフと同じで、道具はその使い方次第で人を生かしたり殺したりすることを、小さいときから学ばなくてもよいものか、と疑問に思う。
スーパーで声をかけられた。中国語の楊先生だった。スーパーの裏方の白衣白帽姿でパッと見気づかなかった。「好久不見了!」お互いに叫んで、他のお客さんの通行を邪魔したようだけど、しばし日本語と中国語ちゃんぽんで話した。あ〜中国語を学んでいた頃がとても懐かしい〜。ずいぶん遠い昔のように感じる…。2nd 病室のドアを開けると、寝ていた母が起きて話があると言う。昨日指導医の回診があり「副作用が重くないようだから抗癌剤を休薬せずに6ヶ月続けよう」と話していたはずなのに、その後担当医がまた来て、「来週の抗癌剤はお休みですよ」と言ったそうだ。母は話が違っていて変だと思ったが、担当医に悪いから黙っていたと言う。そして続けて担当医は『女だから…』と言いかけるのを「女だっていうのは全然関係ない!」と大声で遮った。マズイ!担当医が女だからと一段見下すようになっては治療に影響する。どうして話が違うのか確かめてくると言うと、母はそんな事をしては担当医の間違いを指摘するようで嫌だからしないでくれと言う。私はたたみ掛けるように矢継ぎ早に言った。私達が治療の最初に受けた説明は、3週の後1週休薬だった。来週の水曜の朝になって、抗癌剤する、しないで揉めるより今聞いといた方がいい。来週まで悶々としているのは体に良くない。治療を受ける以上説明してもらうのが患者として当たり前だ。3回を終えた時点で評価をすると言っていたから、それも聞いてくるんやから大丈夫。…ナースセンターへ行くとサブ担当医がいた。彼に説明を求めると、いとも簡単に解決した。指導医が2剤混合の抗癌剤と誤解して言ったことだそうだ。やはり来週は休薬である。母にその報告をすると、自分の邪推を正されてチョット残念そうな顔をした。ヤレヤレ、母に賢い患者になれと言うのは難しい(^^ゞ
3rd 今日は、夫が障子の張替えをするというのでその手伝いやら、出張に来ていくスーツを買いたいとかで、夫に付き合い、病院へは行かなかった。夕食後、出かけている間に、母から電話があったと娘から伝言があった。3回目の抗癌剤が終わった今週末からは、親戚達に見舞いに来ても良いと言っていたのが、やっぱり来ていらないと言ってほしいと言う事だった。伝言を聞いたのが、もう遅い時刻だったし、母の気持ちの揺れは、いつもの事なので、聞いたが忘れる事にした。
4th 夫と母の所へ行くと、母は上機嫌だった。昨日腹水を抜いてもらい体が軽くなった事。そして昼前に、4人の親戚の見舞いがあったと嬉しそうに話した。私は内心、自分の対処が間違っていなかった事に安堵した。「みんな、私が元気そうなのにびっくりしとったわ〜」と母は言い、「抗癌剤してホントに良かったわ」と続けた。それには、私が緩和ケアを望んだ事への小さな非難も混じっていた。帰り際、病院のエントランスに飾られた七夕飾を見て帰った。「○(子供の名前) 千羽づる出きるまで がんばって がんばって生きて…」涙に詰まって最後まで読み上げられなかった。そばの夫はいたたまれなくなって、「病院の七夕の短冊なんか読むもんじゃない」と叱るように言った。
5th 友人の結婚式へ行く娘が、お祝い金を熨斗袋に入れるのに大騒ぎしていた。「お札ってどっち向き?中封筒に住所まで書くの?金額って数字で書くの?」…まぁ、そこまでは良しとしよう。次の質問に、開いた口が塞がらなかった。熨斗袋の表書きの「寿」の文字の下に、今日結婚する友人の名前を書こうとしていたからだ(^^ゞ…一応大学出てるし、社会人になって2年以上経つんだけど…それに結婚式行くのも初めてじゃないやろう?前はどう書いてお祝いあげたの?…親の顔が見たい!
6th 朝、ごみ出しに行くと、叔父夫婦が玄関前で花苗の植え替えをしていた。母の具合を聞かれ、今日の午後にお見舞いに行くと言った。そして叔母が手にしていた花苗を「ほったらかしてあったから今更植え替えしても咲くか分らん」と言うので、私が「根性で咲け!」と花に活を入れた。叔母は「そうや!そこのカアチャンみたいに根性やんなぁ」と呟いた。そして午後、私が母の病室から帰ろうとしている頃になって、叔父夫婦は道を間違えて遅くなったと、汗をかきながら見舞いに来た。御礼を言う母に、叔母は「病院おる間に上品になった〜、なんか内面から出てくるもんなんかねぇ」と精一杯褒めちぎった。母はその言葉がよほど嬉しかったらしく、翌日もその言葉を繰り返してかみしめていた。「帰り道は気ぃつけて、道わかる?」と見送ると、叔母は手にしていた地図を見せて大丈夫だと自信満々だった。が、やっぱり道を間違えたそうな(^^ゞ
7th 仕事が午前で終わった娘と母の所へ行くと、トイレ中だった。そしてトイレの中で、軟便が少しずつ出続けていて、拭いても拭いても出てきて嫌になるとぼやいていた。やっとトイレから出てきた母の寝巻きには便が付いていた。娘はササッとトイレの使い捨ての手袋をはめ、きびきびと母の汚れ物を処理した。いつもインチキ看護師と悪口を言っていたが、慣れた動きに感心した。そして着替えを済ませた母の爪を丁寧に切ってやっていた。娘が席を外した隙に、私は母に、娘が大学受験のとき、大学の看護科に進むと知らせたら、母は顔を歪ませしばらくは何も言わなかった事を言った。母は「看護師なんか人の汚い物触って」っと偏見があったのだ。母は力無く「看護師さんがおらんかったらどうもならん…」と改心したように言った。
8th 英会話を早退して、リウマチ友の会の交流会「かんたんヨガとおしゃれなホテルランチ」へ行く。ゲストの森忠幸さん…石川SCD(脊髄小脳変性症)会・ヨガ道場主宰・記者…のお話は、西洋医学から落ちこぼれた、私達病む者の心にポロリと入ってくる言葉が多い。薬草教室で教わった話なども出てきて懐かしい。この会の司会を頼まれていたが、準備に時間を取れなかった。が、私の事情を知ってる委員の人らが気遣ってくれ、準備不足を補って余りあった。司会の特権で終了予定の14時の2分前に終わらせ、金大へ向かった。母は導尿し、腹水を抜く準備をしているところだった。指導医の回診があり、担当医の報告で腫瘍マーカーが半分になったことを知った。指導医は「思いの外良く効いてる。じゃ続けてやろう」と母に話しかけ、振り返って私にも微笑んだ。私は慌てて出し放してあったリハビリパンツを後ろ手に握りしめたまま、深くお辞儀した。今回は3000ccの腹水を抜いた。尿と合わせると4キロ近く体重が減る計算だ。その待つ間、ベッド脇で母と話す。母は嬉しさに普段よりおしゃべりになり、色んな人の名前を挙げては感謝した。9th Iさんのお母さんのお通夜に行く。Iさんは、母がまだ小松で入院していた時、お見舞いに来て、Iさんの夫が、入院している同居の母親の所へまだ一度も来てくれた事が無いと話していった。母はそれまで、家族なら見舞いに来るのが当たり前と思っていた。寝たきりの祖母がいてまだ子供達が小さかった頃、母は急性胃腸炎で数日入院した。その頃は私専用の車も無かったし、家事・介護・育児で母を見舞う余裕は無く、母の必要な身の回りの品物は、夫に預け、仕事帰りに届けてもらった。退院して母の開口一番は、「あんたは一度も病院に来なかった」だった。母は私がリウマチを発病した当時、毎日入院している私を見舞うのを掟にしていた。そして「良くなったか?良くなったか?」と聞きに来るのだった。リウマチは体調の良い日もあれば悪い日もある。良いと答えられない日は憂鬱で、症状が更に悪くなった。そして母は周りの病室の人から「毎日大変やね。親なればこそ出来る事やね」と言われるのを励みにしていた。だから母にとっては、家族なら見舞う事は当然だった。家事や自分の都合は犠牲にしてもよいものだった。母はIさんの話を聞いた後、私の夫が見舞いに来てくれるのは、当たり前でないとわかり、夫に対し実感のこもった礼を言うようになった。
お通夜の後に説教があった。「元気で長生き」を願って生きている人が多いが、これを人生の目標にしていては愚痴ばかりの人生ですよ。何を目標にしたらいいのでしょう?と問いかけて終わった。…私はとっくに「元気」も「長生き」もあきらめている。今、リウマチの生物学的製剤が、「元気になれる」そして「平均より10年短いと言われるリウマチ患者の寿命を延ばせる」とその効果に、眩しくスポットライトが当っている。リウマチを治せないにもかかわらず。もう何十年もリウマチを引きずり、変形もある身としては、程々に枯れたいと思うので、どうもその宣伝の仕方が気に入らない。10th トイレで少し濡れた母の着替えを手伝う。看護師を呼ばずに自分でやろうと頑張る母に引きずられた。片足一本でも、浮腫んだ足を持ち上げるのは重い。リハビリパンツに挟むパッドのずれを直すにも、硬直した手首では一苦労。何とかできたが、これを日に何度もやる事は私には出来ない。
夜中に目が冴えて、Kさんが貸してくれた「いきいき8月号」をめくった。順天堂大学医学部教授 樋野興夫さんの「がん哲学外来」。りんご農家の木村秋則さんのきゅうりの話。さきおとといのラジオビタミンに出ていた浅田政志さんの写真。心の引き出しのネタが増えた。11th 今日の母は元気が無かった。「眠たそうな顔しとるね」と言うと「髪を洗ってもらったらごっそり抜けた。ショックでね…」との答え。ここ2,3日前から、水枕のタオルは抜け毛だらけだった。洗濯する前に粘着シートで取り除いてからでないと洗濯機に入れられなかった。「少し毛が抜けだしてきたね」と母には言ったが、老眼の母には見えていなかったようだ。「あのね、毛が抜けるんは最初からわかっとったやろ?今更ヨメに行くんじゃないし、この暑い時期、抜けてる方が涼しいし、頭洗うのも楽やん。この病院には、抗癌剤かただのハゲか知らんが毛が抜けとる人いっぱいおるぞ。ばあちゃんの毛はまた嫌でも生えてくるんやし、それより骨髄抑制の副作用の方が怖いんやから。今んとこ大丈夫なんやし、ショックを受けるポイントずれとるぞ〜」
12th 夫、娘と共に母の所へ行く。母がリハビリパンツを使い始めた先月、押入れに20年前祖母に使った物の残りがあるからそれを持って来てくれと何度も言った。母の部屋の押入れを探すのが面倒で、延び延びだったのを今日やっと持っていく事が出来た。母はチラリと見て、Lサイズなのだが小さいから要らないと言った。あ、そうと言って持って帰る。それから母はしつこく強力テープとサージカルテープを持って来てくれと言う。強力テープはオムツのパッドを留めるためだと言うが、サージカルテープの方は何に使うか答えず、「ただあったら便利かと…」と言うだけだった。母はその前にこんな話をしていた。先日腹水穿刺の後、脇が濡れている事に気づいた。医師がしっかりテープを留めて行かなかったからで、でもそんな事医師に言うのは失敗を言うようで嫌だから、看護師に言って処置してもらったと言った。多分母はそんな場合に自分でやろうとサージカルテープがほしいのだと想像する。私はきつく母に言った。腹水が漏れていたりするのはちゃんと医師や看護師に言って処置してもらう事!今母の体は皮膚も弱っているから、勝手にどこでもペタペタテープを貼らない事!どうして母の気遣いは的外れになってしまうのだろう?
13th 母の病室へ顔を出すと、テーブルの上に封を切ったばかりのオムツが乗っており、このタイプは嫌いだから持って帰ってと言う。持って帰るのも荷物になるから、戸棚の奥に仕舞い、売店へ母のお気に入りタイプのリハビリパンツなど買い物に行った。帰って来ると母は歯をみがいていた。そこまでは良かったが、何か動きがおかしい。床を見ると尿で濡れていた。慌ててタオルを床に広げて足でふき取り、ベッドにシートを広げて座らせた。上着の裾をめくると、オムツもズボンもずり下がってお尻が出ていた。丁度看護師が注射をしに来て、体を拭いたり着替えをやってもらう。母の態度は、子供達が小さかった頃、お漏らししてしまったときのリアクションと同じだった。『子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ』という言葉の真実味が増す。
息子が釣ったグレとイサキを送ってきた。夫は帰宅するなりパンツ一丁で魚を捌き始めた。今日はグレの片身を刺身で、イサキは焼いて、その卵は干し椎茸と一緒に旨煮で食べた。明日はグレの昆布〆と、焼いたイサキの残りを鯛めし風にご飯に炊き込んで食べようっと(*^^)v14th いつもの事ながら火曜日は体が重い。多分MTXの血中濃度がMAXになるからではと、自分では思う。おまけに35℃近くで蒸し暑い。居間との仕切りを開けてクーラーを付け、食卓いっぱいに書類を広げて整理する。が、集中できずはかどらない。諦めて、朝叔母が持ってきた野菜を下拵えしたり、トイレの掃除したり、DSiでゲームしたり…それでも落ち着かなくて昼寝したが、眠りが浅く10分で目が覚め、イライラが更に募った。更年期障害もあるんかな?今日母の所へ行くのは無理だと思い、母に電話した。母は「今日テープ持って来てほしいのに!テープ無いと困るんよ。あんたはテープ持ってくるの何回も忘れとるくせに!」と子供が駄々をこねるように言った。「ごめん、テープがどうしても要るんなら、売店の移動販売が通ったら頼んでよ」と言って切る。その後受話器に向かって叫んだ。「嘘コケ!テープを持って行くの忘れたんは昨日だけやわい!オムツ留めたって漏れるもんは漏れるわい。自分だけ病人やと思うてえさるな、ババァ!」
15th 英会話を見学に来た人があった。偶然彼女はSさんの知り合いだった。小松は狭い!彼女が加われば、会費を1000円安くすることが出来る…と算盤をはじく(^^ゞ 「きらめき」の編集にアクションを起こさなくては…と焦っていた。で、先月の初顔合わせを欠席した方に資料を届けようと家を探して届けた。本人は不在で、留守番の姑さんに預けた。それからマックでランチを食べながら、手帳を出して絶句した!しまった、資料を届けるべき相手はNさんだ。私は何を勘違いしたのか、Iさんちに行ってしまった(^^ゞ 県庁で会議があるが、まだ少し早かったので近くの本屋に寄り、昨夜テレビで見た『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二)を買った。癌の母を看病するための参考資料だと思い、母から預かっている財布の中から代金を出した(*^^)v そして金大病院へ。母はまた今日から毎週抗癌剤が始まったが、落ち着いていた。お茶の先生と仲間が見舞いに来て、それぞれ癌で亡くなったお連れ合いの話をしていったと言う。色んな人の、色んな癌の話を聞くこと…それが母には、癌を受け入れる一番の助けになると思う。
16th ごみ集積所の扉の閂はとても固くて、開閉が大変だ。力の無い私の手では、時間をかけてだましだましでやっている。でも、誰かが先に開けていたり、自分の後に誰かやってきたりすると、お互いに「開けといて」とか「後お願いします」と声をかけて、開閉の手間を省ける。中には親切な人もいて、扉を開けたまま待ってくれて閉めてくれる人もいる。最近町内にアパートが出来たり、造成地に住宅が出来たりで、知らない人も多くなったが、閂が固くて不便な事でお互い様の小さな協力がある。
娘が先日もらってきた結婚式の引き出物は、カタログだった。ず〜っと迷って決められない娘に代わって、私がペッパーミルを注文した。今日届いた。ハンドルが丁度うさぎの耳のように突き出ているのが可愛い。早速やってみた。握力が8Kg以下の私の手でも挽けた!感動ものである!娘に昼ご飯にスパゲッティを作ってもらい、胡椒を振るときには私の出番だと、張り切った(*^^)v17th リウマチ友の会の委員会後、母の所へ行くと、病室の前で主治医に会った。病状説明の後、転院について検討するため、ケースワーカーと話し合うよう薦められる。病室では、連休を前にして腹水を抜くところだった。母にチラリと「転院することになるかも…」と言いかけると、「治るまでこの病院におる!」と言ったきり不機嫌になった。そして昨日お見舞いに来た人のことに話題を変えた。母は数日前、サブ担当医が来て退院して週に1度抗癌剤を打ちに来ないかと言われたらしい。母はてっきり入院費の事を心配されてるのだと勘違いし、「退院しない。入院していても大丈夫」と威張って答えたと自分で言っていた(^^ゞ と言う事で、家族の私に話が回ってきた。しばらくしてケースワーカーが来て、相談室へ案内された。入院前の生活(アパートでのひとり暮らし)は、当然無理で療養型病棟のある病院を探す事になるが、複数の病気を持つ母を受け入れられる所がほんの一握りと知らされる。更に詳しく調べてほしいと頼んで病室にもどる。ドアを開けると「あんたどこ行っとったんや!あんたがおらんから大変な事になったがいね!」と母は半狂乱で叫んだ。抜水の針が外れシーツが濡れていた。医師と看護師が来て処置したが、その間中も母は大きく腹を波打たせ興奮して私をなじった。母が落ち着くまで側にいて帰ったが、帰路、どっと疲れた。これから買い物して夕食の準備をする気力はもう無かった。帰宅し、夫と娘に事情を話し、外食する事にした。夫と前から行きたかったのに行きそびれていた「うさぎ」へ、娘の運転で出かけた。冷房の効いた部屋で熱くて辛いもつ鍋を食べ、花金で活気ある店の雰囲気を吸い込んで、自分を元気付けた。母の余命が伸びる事は良い事だが、長丁場になりそうなので、そのつもりでやらないとつぶれちゃう。
18th 昨日の事があったので、少し早めに夫と病院へ行った。母は落ち着いており、おいしそうに昼食を食べていた。ちょっと安心して私達も食堂へ下りて昼食をとってから、再度病室へ行った。転院の話を切り出してみた。夫も病気が良くなってきているからそういう話が出たのだと援護射撃した。母も全面的ではないかもしれないが、少しは納得したようだ。また飲水の量が減っている。母に1日1500cc飲もうよと言うが、「先生が飲まなくて良いと言ったから」と受け付けない。いつもこの調子だ。飲まなくて熱が出ると一転して水だけでも2500cc以上も飲み必死で下げようとする。その反動で水嫌いになり、なんのかんのと言ってはまた水を飲まない。夫は「ほっとけ」で終わらせた。
19th 午前中に母を見て、午後は用事をしようと思い、夫と早めに家を出た。車内で家から入れてきた熱いコーヒーを飲みながらラジオの「徳を育てるということ」大徳寺塔頭・瑞峯院住職:前田昌道さんの話を聞いた。皮肉な事に、ルシーダにETCを取り付けてから一度も長距離ドライブに出かけていない。いつもだったら、こんな放送を聞くと間をおかずに、夫と大徳寺へ出かけていただろう。
病室のドアを開けると、母は私の携帯へ電話をかけているところだった。私を見るなり「ちょっと聞いてくれぇま」と泣きだした。鳴り出した携帯を止め、ただ事ではない様子の母に事情を聞くと、「昨日午後から抗癌剤するのに、下手な看護師がおしっこの管をうまく入れらなくて、夜中の12時までかかってもダメで、しまいにトイレの前の床に、真っ暗の中で放っておかれた。ベッドもそこらじゅうおしっこだらけになって…だから今日やり直すんで、先生を待っとるとこ」と興奮して言った。「え?抗癌剤は水曜にしたばっかだから昨日はする日じゃないよ」と言うと「昨日する日なんや!」ときっぱり言う。「わかった。じゃ、今看護師さんに聞いてくるから」と言ってナースセンターへ確認に行った。二人の看護師が顔を見合わせながら、「昨日の夜中から急にああいう状態で…」と言いにくそうに言う。私の頭の中に『せん妄』という単語が浮かんだので、うなずいて病室に帰った。母の泣きながら話すのを、夫と共にそうか、そうかと聞いてから、「今日は何日や?」とカレンダーを見せると、母は16日を指した。夫が「ずれとる〜。終わった日を消してやれば」と言うので、母の見ている前で日付を消していった。「今日は19日で連休の二日め。金曜には、連休前やからというんで水抜いたよね」と言うが、まだ半信半疑。そこへサブ担当医が様子を見に来た。足を触って「足は痛くない?」と医師が話しかけると、母はいつものようにしゃんとして答える。そして「今日は抗癌剤は無いからね」と言うと、母は「はい」と素直に頷いた。病室を出た医師の後を追って話を聞くと、やはりせん妄だと言われた。ひどくなれば精神科で薬を出してもらうということだった。病室にもどり、またじっくり母の話を聞く。母は導尿に失敗したという新人看護師(気の毒に母の妄想の対象にされてしまった)の悪口を繰り返し言った。「へぇ〜、じゃこの次からその看護師さんを外してもらうよう頼んであげるから、名前は?」と聞くと「いやそんな事言ったら悪い」と絶対言わない。これが母の仁義らしい。「娘も新人の頃処置がヘタで、患者さんから『あっち行け』って言われたんよ。新人も慣れてきたら上手になるよ」と言うと「いや、あの子は気が利かないからダメだ」と厳しいご意見(^^ゞ 母は同じ事をくり返し話し、話し疲れて納得した…という感じで落ち着いた。その間、夫に洗濯をやってもらった。帰宅し「せん妄」について調べてみる。原因には代謝異常や薬物など色々あるが、水分不足というのも書いてあった。20th 今日は母を車椅子に乗せ、院内を散歩する事にした。はじめはそんなに乗り気でなかった母も、売店へ連れて行くと熱心に品物を手にとって見て回った。昨日母は、寝ている時に私が薬を飲ませた道具を探しているが見つからないと言った。私は手で母の口に錠剤を入れ、ペットボトルにストローを挿して飲ませただけなのだが、母はネットのような道具を使ったと言って、絵まで描いてみせ「どこに片付けた?」としつこく聞いた。私が「そんなの知らんなぁ。覚えてない」と言うと「なんて覚えの悪い。わたしゃみんな覚えとる」と言い張る。それで、売店でその道具を探そうという事になったのだ。母は「売店の人に聞いてみるか」と言ったが、夫が「名前を知らなきゃ聞きようがないなぁ」と言うと、母はようやく諦めた。そして頭に被るバブーシュカの好みの色柄を選んで買った。病室に戻ると、母は嬉しかったらしく涙声でお礼を言った。母の言葉に逆らわず合わせる対応は、子供の頃にも覚えがある。が、今は中身が全然違う。そして孤独でなく、協力者がいる。
帰路の車内で「鎌田實 いのちの対話(江戸に教わる)」の再放送を聞いた。5/4の公開放送には実際に津幡の会場へ出かけ、村上アナウンサーからインタビューされた。何をしゃべったかうろ覚えだったが、改めて聞くと、私の答えに周りの人の笑い声が入っていた。自分の声が破れたアコーデオンみたいで、ちょっと凹んだ(^^ゞ あの頃は癌や緩和ケアという言葉は、頭の中の言葉に過ぎなかった。21st 今日は母の見舞いはしない。急に行かないと言うと納得しないので、予告をしておけば大丈夫だと経験から学んだ。自分の事を少しやる時間が出来た。週に1回はお休みを作らなきゃ。出来れば2回…。ご飯を2回炊いて冷凍しておく。病院から帰るのが遅くなっても、すぐに食べられるご飯さえあれば、あり合せの物で何とかしのげるから。今日のおかずは、時間的、体力的に余裕があったので、ヒレカツと畑の野菜達を天ぷらにした。手間のかかる揚げ物をしたのは、何日ぶりだろう。夫は「やっぱり家で揚げたカツは美味い」と次々食べていた。夜勤で夜中に帰る娘の分を、あわてて取り分けた(^^ゞ
22nd 寝ている娘を起こして日蝕を見る。「あんたが丁度オカアの齢になったら、ここでも皆既日蝕見れるよ」と言いながら見る。その頃まで生きてる保証が全く無いから、「今日の」三日月の様な日蝕を見る。最近出あったいい言葉:『今日』という日は残された人生の最初の日である…。娘と病院へ行く途中、「すし食いねえ」でランチを食べた。半分食べたころ、娘の隣のカウンター席に、オバサンがひとりで来て座った。おっそろしくキツ〜イ香水の匂いに、鼻がバカになり、味まで分らなくなった(^^ゞ 最近禁煙のお店が増えて喜んでるが、禁香水のお店もできてほしい。看護師さんに、夜の母の様子を尋ねると、頻尿はあるが不穏な行動は出ていないとのこと。が、抗癌剤の点滴が終わったにも関わらず、まだしてないと言い張る。抗癌剤=すればするほど癌が治る…という願望の変形なんかなぁ?
23rd 「松任のあんころ」を買って病院へ行く。母は私の顔を見るなり「ほしい物がある」と言った。またややこしい物かと身構えると「ご飯を増やしてもろたら、おかずが足りなくなったしふりかけみたいな物ほしい」と言った。ホッとする。売店まで車椅子に乗せて行き、好きなものを選んで買う。それからデイルームへお茶を持って行き、あんころの包みを開けた。「うまいなぁ〜」とこんなにおいしそうに食べる母の顔をはじめて見た。いつも食べると体に良い・悪いとか、どこそこの物はもっとおいしいだとか、あんまり一緒に食べてて楽しくなかった。それが一個一個大事そうに食べ、私が3個食べて「後はみんな食べていいよ」と言うと、竹の皮に付いた餡まできれいに集めて食べた。「じゃ、この次から木曜は『あんころの日』にしよう。水曜に抗癌剤したご褒美の日にしよっさ」と言うと、更に母は嬉しそうな顔をした。それから病室へ戻り、娘から借りてきたデジカメを渡し、使い方の絵を描いて説明した。先々週、母は夜、窓から月が出てその月の上に森光子が乗っていたのを見たのだそうだ。その話を看護師さんやみんなにするのに誰も信じてくれない(私も「そうか」と言ったが顔には信じてないと書いてあっただろう)。写真で撮って見せてやりたいからデジカメを買ってくれと言っていたのだ。母は目茶苦茶にシャッターを押しながら、「こんな事してると足の痛いの忘れるなぁ」と言う。抗癌剤を受けた夜とその翌日は、副作用で痛みがきつい様だ。今日は穏やかな一日だ…と思って帰宅したが、8時過ぎに母から電話があった。「あんた電話してこなかった?さっきから何回も携帯鳴るけど、トイレやったり出る前に切れて…」はぁ〜せん妄じゃなきゃいいのだが…。24th 今日の母は足が痛むと言いながらも洗髪とフットバスをしてもらい、ご機嫌である。昨日買ってきたプリンとお見舞いにもっらた洋菓子をペロリと食べ、まだ食べたそうだったが、「これは明日にしてね」といくつかをしまってきた。母はカレンダー周りに色々メモしており、その中に「○○はダメ!」とそれだけ油性のマジックで大きく黒々と書いてあった。どうやら母のターゲットとなった看護師らしい。母なりに悔しい思いを消化しようとしているらしいが、せん妄の部分はどうするのかね?それから、お見舞いに来る前に看護師さんに予め容態を尋ね、丁寧にお見舞いくださった母の従妹Bさんに、母は「大事な治療があるから帰って」と言ったらしい。母の言う治療とは洗髪とフットバスの事で、私には何と大げさなと思われる。翌日、Bさんに電話して事情を話しお詫びする。
25th 東京へ行く娘を空港まで送り、時間があったので美容院でシャンプー&ブローしさっぱりした。リウマチ友の会能登地区講演会に行く。金沢駅で委員3人を乗せ、にぎやかに七尾へ向かう。おしゃべりに夢中になり、上棚矢田ICを通り過ぎてUターン(^^ゞ パトリアで能登地区の3人の方と合流し、会場準備にかかった。Hさんが会場の七尾フォーラムの職員と知り合いだとわかり、来年から会場のお世話をお願いした。ここ数年能登地区での参加者が少なく小さな会場を予約したため、座席不足になった。講師の嬉野さん(心理士)は、落ち着いた優しい声で話したが、「石川県には心理士のいる病院が少ないですよ。是非かかりつけの病院に心理士を要望してください」とお茶目に言ったりもした。参加者の中には「今日来てとても楽しかった、ありがとう」と寄付を置いて行かれる方もいた(*^^)v 帰りの車内は、一つの行事を終えた4人の達成感を詰め込んで、行きより更ににぎやかだった。そして運転の私はまたもや話し込んで道を間違えたのだが、「竹内のみそまんじゅう」のお店には何故か外さず寄る事ができた。みんなの食い気の執念かな?
26th 朝、夫と母の病院へ向かう車内でラジオを聴きながら、もうあれから1週間たったのかとため息が出る。母は短歌の先生に添削してもらう短歌を仕上げるのだと躍起になっている。せっかく夫がいるので、車椅子で散歩させたかったが、それどころじゃない形相でペンを握っているので、宿題を手伝う母親みたいに、横に付いて文字を教えたり宛名の書き方を教えた。とにかく仕上げさせ、ちゃんと出すからと約束した。母はホッとした様子で、昨日のお土産のみそまんじゅうを頬張った。前から思ってることだが、母の短歌はいつもどっかで聞いたことのあるような歌で、全く面白くない。母の柄じゃない、使い慣れない気取った言葉を使いたがり、事実や母の思いとずれてる。いい方にずれていれば芸術なのだが、ただの嘘つきの歌にしか感じられない。が、一週間前よりは、全体的にマシな状態なので良しとしなくちゃ!27th 朝、のらりくらり家事をしていると金大のソーシャルワーカーさんから電話があった。転院希望の院長と顔見知りなら、家族からも直接コンタクトを取るようアドバイスがあった。「電話で話すの(苦手だから)より、FAXにしようと思う」と言ったが、後でよくよく考えて、お手紙を書いて、直接病院まで出向いて渡そうと思った。それから熱くて濃いコーヒーを飲んで活を入れ、パソコンに向かった。昨日の母の歌にイチャモン付けたけど、こんなお願いを書くのは初めてだから、書き出しは?順序は?…と悩んだ。が、そこはパソコンの良いとこで、浮かんでくるキーワードを先に打って、肉付けして繋ぎ、ようやく仕上げた。多分お作法の書式ではないと思う。病院の受付に持って行き、「院長先生にお会いしてお渡ししたいのですが」と文章を見せた。受付の人が「確かにお渡しします」と受け取ってしまったので、院長への面会は出来なかった。受付の人にすがるように言った。「明日転院受け入れの会議があると聞いてますから、絶対今日中にお渡しして下さい。お願いです」
28th 母の病状は確実に上向き。が、こちらはやっぱ火曜はしんどい。朝のうちに母に電話して「今日は行けないかも…」と言うとあっさりそうかと承諾し、「明日は私の誕生日だから…」と言ったので、「明日はばあちゃんの誕生日やから絶対行くよと」とかぶせて言うと、すんなり電話を終わらせる事ができた。やれやれ。夫は明日から泊りがけの出張で、夕食後、バッグをとっかえひっかえ荷物を入れたり出したりして、あーだこーだとブツブツうるさい。挙句の果てに大事な書類を会社に忘れたから取りに行って来ると言う。ダメでしょ!忘れたんかい、夕飯にビール飲んだやろ?絶対ダ〜メ!!明日の朝でも間に合うがいね!ヤレヤレ、母の対応がうまく行った日にゃ、夫の対応に疲れる〜(^^ゞ
29th 午前南部公民館で男女課の課長と待ち合わせ、来月借りるプロジェクターとパソコンのテストをする。それはすんなり繋がったが、スクリーンが下りてこない!隣の中学の先生まで呼んできてみてもらう。彼は課長の顔を見るなり「おまえが『男女共同参画課』やなんて一番似合わん仕事やな!」とツッこんだので、私は笑いをこらえる事ができなかった。線が外れていただけだった。
母の転院先は、近所の療養型病院からは断られた。他の小松の病院からも断られ、ちょっと遠いが抗癌剤もできる病院への打診をしてもらいOKが出た!ひとまずホッ(*^_^*) 母は、今日導尿カテーテルを上手に入れた看護師さんへ感謝の気持ちと今後もやってほしいからプレゼントを買ってきてほしいと言った。先日のせん妄状態の時の幻覚について少し触れてみた。あの当時と同じく幻覚でなく現実だと認識している。母に週に2度も抗癌剤をする事は決してないよと言うが、やはり自分の記憶を信じて病院があんたに隠してるんだと言うので、その話は打ち切った。が、プレゼントは規則上あげられないから、感謝の短歌を作ってあげたら?と提案したが、短歌なんかじゃダメなんだそうだ。拝金主義は相変わらずだ(^^ゞ 続けて水分摂取の話題で「N先生から午後には絶対水を飲むなと言われた」と言ったので、「へぇそうなんや。N先生ってそんなおかしな事言うんか?そんならN先生になんでそう言われるか理由聞いてこようか?」と言うと、困った顔になったので「N先生じゃなくて(母の名前)先生が言うたんやろ?」と笑って言った。母も笑い出して「そうや」と言ったので、私はすかさず「嘘こき!先生の名を使って私に嘘こいてたら大変よ。嘘こくな!」と強く言った。プレゼントの件に続いて、またも私にダメだしされた母は、「今日は抗癌剤したばかりでひどくて…」と泣き落としになった。ヤレヤレ。母をベッドに寝かせ布団をかけると、またご機嫌になったが、ハァ〜これが介護の入り口か…。
30th 「松任のあんころ」を買って病院へ行く。母は看護師さんにアートフラワーを手作りしてプレゼントしたいから、材料セットを買ってきてほしいと言った。車椅子で売店へ連れて行。母のほしいひまわりはなく、お店の人にカタログまで調べてもらっても製品自体が無かったので諦めてあじさいを買ってきた。母のせん妄はあれ以来落ち着いているが、どうしても歯医者へ行く日の話になるとおかしくなる(^^ゞ 「明日は歯医者だよ」と言うと「違う。歯医者は7月1日に行く」と答える。カレンダーを前にして「7月1日はもう過ぎてしまったよ」と言うと、「じゃ8月1日」と答える。「歯医者は毎週金曜日に受診やよ。8月1日は何曜日?」…少しずつ少しずつ噛み砕くようにしてようやく納得させた。疲れる〜(^^ゞ 「明日は娘がお休みやから代わりに来るね。明日は私も家でゆっくりしたいし病院来るのはお休みさして」と言って帰った。
そして夕飯の支度をしていると母から「明日、Nさんの家へ祝い金を持っていってほしい」と電話があった。「明日は休ませてほしいんやけど…」と言いかけると「明日あんたが行くってNさんにもう言うたもん!」…私は自分の心が急に冷えて小さく固くなる気がした。出張帰りの飛行機が遅れた夫を待たずに1人で夕飯を口に押し込んだ。涙が出てきた。これまでの母との葛藤を乗り越えて、母を尊敬して見送りたいと思っていた。母には努力が通じない…夫と娘が帰宅し、私の話を聞いてくれた。娘は今の様に個室で女王様状態の生活は良くないから、明日母に、転院を機に相部屋にしないかと進めてみると言ってくれた。31st 朝、鍵を開けると玄関先に金時草ときゅうりが置いてあった。叔母だろう。丁度金時草が食べたくて夫に採って来てと言ったばかりだった。もう卒業したのだとばかり思っていた生理が4ヶ月ぶりで始まった。数日前からのだるさや、頭痛やめまいが生理の前触れだったのかと、少しホッとする面もある。「いいかげんがいい」(鎌田實 著)を読んでのんびり過ごす。夕食にはアマダイを塩焼きし、金時草と長芋を酢の物にし、畑の野菜をいっぱい入れた豚汁に、きゅうりの漬物…贅沢ではないけどおかずを並べると、夫と娘は「なんだか今日の夕飯はおいしいね」と言いながら食べた。本に書いてあった、心が疲れたとき、白いご飯とお味噌汁だけでいいから丁寧に作って感謝して食べるってのをやってみただけ(*^_^*)