小松市尾小屋町

アルバイト時代のパトロール日誌より

昭和41年1月1日
スキー場オープンに思う

 12月20日仮オープンを目標に進められてきた北陸随一の大スキー場工事はある一部の不本意な地主の反対と北陸特有の雨のため若干遅れはしたものの辛うじて年内オープンに間に合い、12月30日にはリフトの検査も合格、晴れて31日から営業開始となり数年ぶりの正月積雪に遠く関西方面から訪れたスキーヤーを喜ばしたものの立木の補償や土地の問題で開発協力委員会は土地所有者と箱根観光の板バサミとなり、周囲の人からは白い目で見られ、ひどい人の「よそ者に尾小屋を売る気か」などの毒舌を浴びながらも心で泣いて、表面笑顔で最後まで私利私欲を捨てて尾小屋のためを考えてくれた今は陰の功労者(深田善九郎、川上義友)に今こそ尾小屋の町民は心から感謝の気持ちを持って頂きたい。そうした人は今、静かに遠くから沢山の若いスキーヤーの訪れるのを満足して眺めているであろう。しかしまだまだ未解決の問題は山積しており、必ずまた登場して頂かなければならない大事な人たちである。いつの世にも私利私欲を離れて社会のために献身的に働く人間の姿は美しくもあり、人の心を惹き付ける不思議な魅力を持っているものである。いづれにしても尾小屋の町民はこんな山奥に多額の資本投入してくれた箱根観光に感謝し、観光開発に積極的に協力すべきである。工事を請け負って頂いた池田建設、玉村産業の方々に心から感謝の念を抱かずにはいられない。

昭和41年1月3日
 天候:快晴
 雪質:粉雪でサラサラ、ゲレンデコンディションオープン以来最上
 スキーヤー:約1000

 AM8:00 スキー場ロッジ着、一番リフトにて山頂に登り、スコップでデコボコの整
     理、コースの狭いところを広げながら滑り降りる。
 AM9:30 危険地帯に赤旗立てる。昨日と同様、二本松と斜滑降地帯での事故が相変
     らず多い。
 PM4:50 最終リフトにて山頂に登り、ゲレンデをパトロールしながらゆっくり滑り
     降りる。異常なし。
 PM5:30 ロッジに集合解散、帰路につく
 6時頃、民宿堀口宅を通りかかったところ、民宿中の大阪の3名連れの内2名がまだ帰らないとの報を聞き、早速箱根観光の事務所に出向き、小林町内会長、支店長を交えて対策を協議、捜索本部をスキー場ロッジに決め、深田を隊長とする8名からなる捜索隊を構成し、自動車でロッジに集合、河波、川上を本部連絡者とし、7時20分行方不明者捜索のため捜索隊出発

                  
            谷田、土岐遭難対策
 捜索本部:スキー場ロッジ TEL65,66
  本部長 支店長、連絡責任者 川上
 捜索支部:箱根観光事務所 TEL15
  連絡責任者 松島次長
 遭難者の民宿:堀口宅 TEL11
 
遭難者のスキー歴
  谷田 昨年より始め、今度で2回目、ほとんど滑れない。
  土岐 2年前より始め、今度で4,5回目、余り上手でない。
  以上はリーダ木内(今回は来られなくて大阪にいる)よりの電話連絡による。
 連絡:本部、支部、捜索隊間30分毎、捜索隊の現在位置および関係方面の連絡
 連絡時間
  PM7:20 深田をリーダとする捜索隊5名本部を出発、リフトにて山頂に向かう。
  PM8:00 捜索隊より1回目の連絡、期待に胸弾ませたが以外に冷たい知らせ「尾
      小屋駅方面に降りた形跡なし、丸山方面に向かう」 支部に連絡
  PM8:25 「途中まで行ったがスキーの形跡なく引き返しゲレンデ周辺を捜す」の
      捜索隊よりの連絡、丸山方面に立寄っていないか、西俣、地元の民宿に
      紛れ込んでいないか支部に調査依頼
  PM9:00 支部より「丸山町近くの川沿いの小原行の道に2名のスキーの形跡あり
      と丸山町久保さんより電話あり」の連絡
  PM9:05 捜索隊に久保さんの電話内容を連絡、捜索隊小原方面に向かう。
  PM9:15 捜索隊より小原方面の捜索に消防隊の応援依頼があり、支部に連絡
  PM9:20 田野リーダ外4名の地元消防隊、小原方面捜索のため本部を出発、阿手
      方面部落に立寄っていないか支部に調査依頼、この間ゲレンデ周辺をロ
      ッジのマイクを使って数回放送
  PM9:45 支部より民宿、阿手部落に異常なしの連絡、捜索隊にこの内容連絡、大
      阪の友達木内君より遭難者のスキー歴の連絡
  PM9:55 深田隊長の指令により河波、山上、川上の3名でゲレンデ周辺の捜索の
      ための準備、支店長に連絡責任者をお願い、支部にもこの内容連絡
  PM9:58 捜索隊より2名元気で発見の連絡、支部、堀口宅にこの内容連絡
  PM10:12 捜索隊、消防隊、遭難者共元気な姿で本部に現れる。
  PM10:15 捜索本部解散、自動車2台に分乗して支部に向かう。
  PM10:30 遭難者の無事発見を祝して事務所にて乾杯、事故防止策として取りあえ
      ず危険表示の赤旗を立てることにする。

昭和41年2月12日
 
天候:快晴
 雪質:粉雪でサラサラ、PM2時頃より気温が下がり最上のコンディション
 スキーヤー:約1500人
 第2回スキー祭りで東映スター岡崎二郎、入江若葉、御影京子、小島恵子来場
 地元パトロール要員でスキーコーチ、私の相手は御影京子、彼女、スキーは初めてというのに中々のスポーツウーマンで実に技術の呑み込みが早く、若いのにハキハキしていて活発なのが人気の的となり、カメラのポーズにも気軽に応じていた。
 今日のスターの中では一番可愛らしく美人。勿論、私と彼女との接点はなく、初めての対面、顔も名前も知らず「失礼ですがお名前は」と聞くとチョット首を傾けて、私の名前を知らないなんて失礼ネと言わんばかりに「御影京子よ」「ハー、で、今何に出ています?」「今、映画一本、明日からテレビ“源義経”の撮影に入ります」とのこと。スキーについても実に熱心に色々技術的なことを質問しながら……時々大倉岳高原スキー場の歌を口ずさんでいるあたり如何にも現在っ子らしい、「昨夜レコードを聞きながら一生懸命練習したの」……中々歌の方も上手。


昭和41年2月12日の北国新聞

  入江若葉ら小松へ
    
今日 大倉岳スキー祭りに参加
 12日行われる小松市大倉岳高原スキー場第2回スキー祭り(大倉岳高原スキー場主催、小松市、北国新聞社後援)に招かれた東映の岡崎二郎、入江若葉、御影京子、小島恵子の4人が11日午後の全日空機で小松空港に着いた。空港ターミナルで歓迎会が行われ、一般の応募者から選ばれた高島美智子さん(羽咋市)渡辺恵都子さん(金沢市)宇野菊枝さん(小松市)浅野敏子さん(小松市)らが花束を贈り、飛行機の乗降客、送迎客らも思わぬ俳優さんたちの来場に大喜びでカメラを向けていた。
 このあと一行は市役所を訪れ、萩原助役らに挨拶、市役所職員らのサイン攻めにも気軽に応じていた。萩原助役の「明日の雪まつりに大いにスキーの醍醐味を味わって下さい」の言葉に金沢出身の小島恵子さんは「小さいときは竹スキーで、お転婆ぶりを発揮しましたが……大いに転びますワ」と笑っていた。
 一行は11日夜は粟津温泉「はしもと」に泊まり。12日は大倉岳高原スキー場ゲレンデでスキー祭りのサイン会撮影会に参加する。

        
        小松空港で花束を受ける一行
         
        記念撮影に気軽に応じる御影京子