小松市尾小屋町

小松市立尾小屋小学校

 明治8年6月6日に尾小屋村小字上村の民家を借上げて校舎として、「菊溪小学校」と称したのが本校の創立である。明治18年に初等科観音下小学校の分教場に指定され、翌19年11月に独立して「簡易科尾小屋小学校」となった。明治20年11月小字上村および長原の中間の地点が校舎に新築され、更に明治35年12月に長原寄りの位置に新築移転した。明治41年4月に修業年限が六カ年に延長され、明治43年1月20日に児童控所と玄関とが増築された。明治44年4月に2教室が増築され、明治45年7月18日教員住宅が建てられ、大正3年12月26日更に校舎の増築があり、大正4年4月1日に6学級編成となった。大正5年には4教室の増築と運動場127坪の拡張が行われた。
 
大正9年4月1日に通年制の村立農業補習学校が併置された。
 
大正9年1月11日に、倉谷に臨時授業所を設けて3年以下の児童を収容し、3月20日に閉所するのが毎年の例となった。大正12年4月2日高等科が併置され、「尾小屋尋常高等小学校」と改称し、大正14年10月6日に講堂が新築落成した。昭和2年12月1日から倉谷臨時授業所を変更して、通年制の常設分教場が設けられて、1年から4年までの児童を収容することとなった。
 
昭和3年12月12日2階建ての部分の増築が行われた。昭和22年4月1日、六三制実施により「尾小屋小学校」と改称、高等科を廃して、西尾村立尾小屋中学校が併設され、昭和23年4月西尾村立西尾中学校と西尾村立尾小屋中学校が統合し、西尾村立西尾中学校尾小屋教場となったが昭和24年12月7日に西尾中学校の新校舎が出来たので、尾小屋教場が閉じられた。昭和26年12月11日に倉谷分教場の新校舎の落成式が挙行された。
 昭和31年9月1日、町村合併により旧西尾村が小松市に編入、小松市立尾小屋小学校に改称、昭和47年4月西尾小学校(明治8年5月創立)西俣小学校(明治9年4月創立)尾小屋小学校(明治8年6月創立)の三校が統合し、新生「小松市立西尾小学校」として校舎を観音下町ロ48に移し現在に至る。


昭和32年1月1日(西尾村史より抜粋)
 学級数15、教職員18名、生徒数512名


                     
              尾小屋小学校                         倉谷分教場

            
尾小屋小学校校歌

1.緑の朝だ    日がのぼる     2.大鉱脈だ    金みどり
  山のいぶきを  胸に吸え        きらめく石を  深く掘れ
  元気に満ちた  子どもらが       自然のめぐみ  地にあふれ
  トンネルの道  丘の道         人なごやかな  我が郷に
  肩をならべて  友と行く        明るく学ぶ   六ヶ年
  さくらの中の  尾小屋校        さくらの中の  尾小屋校

3.絶えぬ煙だ   熔鉱爈
  青空高く    吹きのぼれ
  すくすくのびる 子どもらの
  意気もりりしく 雲を呼び
  新日本の    鐘ならす
  さくらの中の  尾小屋校