小松市尾小屋町

小松市倉谷町

 倉谷は、波佐羅の飛地倉谷山にあって、波佐羅鉱山と共に発展した鉱山町である。明治18年に小豆原、黒壁方面に鉱区が、22年に熊の穴、いしな畑鉱区が、24年に大清鉱区が開坑された。いずれも、小資本な零細経営者であったので、資金の欠乏から事業主も転々として異動した。
 この間、山地に事業場や、鉱夫の住む小家などが出来て、倉谷の基礎が作られて行った。
 明治38年に鉱区は、横山鉱業部の経営に移り、これから波佐羅鉱区の本格的な開発が行われ、本山との間に連絡坑道も出来て、大正2年には56万坪に及ぶ鉱区が、全部鉱業部の所有に帰したのである。
 尾小屋の方の鉱脈が乏しくなって行ったのに反して、この鉱区に続々と新脈が発見され、主要事業場もここに移った。これに伴って社宅も増設されて、戸口も増して行った。
 昭和2年に倉谷分教場設置願の中には、その頃の戸数114戸、人口435人と記されているので、僅かな年数の間に急激に膨張発展したことが分かる。
 かくて鉱山の中心地帯となって、益々戸口が増加したので、昭和31年小松市編入に当たり、倉谷、倉谷大曲、倉谷小曲を合して、倉谷町として独立して、一つの町だてとなり、尾小屋町二ッ屋から倉谷町までの産業道路も昭和31年に完成したが昭和37年の鉱山閉山で社宅は消滅した。
 地方自治法260条1項の規定により昭和35年4月1日に倉谷町を廃止し、波佐羅町ヌの区域とした。
 産業道路は昭和48年に市道から県道109号に昇格、現在は白山市の五重谷、阿手町に通じ、全面舗装されている。


統計的に見る倉谷町
 昭和32年1月1日(西尾村史より抜粋)
   倉谷町社宅   123戸、 578名
   倉谷町大曲社宅  70戸、 319名
   倉谷町小曲社宅  52戸、 243名
   以上倉谷町総計 245戸、1140名

             
      尾小屋鉱山倉谷町産業道路          県道109号に昇格した元産業道路