小松市尾小屋町

丸山道部落

 尾小屋から新丸の丸山に行くには、県道深谷線(現在の国道416号)と五百峠を登る旧道がある。この五百峠の旧道の急坂にかかる処にあったのが、丸山道部落であった。尾小屋銅山が開業されて、年々盛んになるにつれて、他町村から就業員が移住してきて、ここに家を建てて住みついたのが起りとなっている。
 明治20年頃には十数軒の家が建ちならび、商店や久保田と言う飲食店兼女郎屋もできたが、明治29年の大水害に大打撃を受けて、流失した家もあった。
 その後、次第に復興し家屋も増加して、世帯数も七、八十ともなり、鉱山従業員の寄留部落として繁昌した。地蔵様を祀ったお宮もでき、春秋の祭には尾小屋からも参詣人が出かけ、丸山道又は小屋町と呼ばれて、一部落を形成していた。

 
尾小屋鉱山の経営が日本鉱業株式会社の手に移り、その経営方針も改善され、鉱山社宅も建設されたので、これに移る者が多く、昭和15、6年には僅かに5,6軒に激減し、交通不便と生活上の不自由から、昭和29年には全戸が消滅して、丸山道の名のみが残っていたが昭和40年末の箱根観光開発株式会社経営の大倉岳高原スキー場のオープンで道路だけは立派に舗装された。部落跡は今は全く荒廃地と化し、痕跡すら見当たらないが、かっての五百峠に通じる旧道(郷谷往来)は部落跡からスキー場第一駐車場付近までの右山側4〜5mの高さに、ところどころ崩壊した状態で残っている。